高校生の時にバイクにハマると、1974年には、舘ひろしさんとバイクチーム「クールス」を結成した、岩城滉一(いわき こういち)さんですが、やがて、矢沢永吉さんに声をかけられて、ロックバンド「キャロル」の親衛隊を務めると、これをきっかけに、「東映」にスカウトされます。
「岩城滉一のデビュー前は舘ひろしとバイク集団クールスを結成していた!」
「キャロル」の親衛隊として脚光を浴びる
舘ひろしさんらとバイクチーム「クールス」を結成すると、自由気ままに東京都内をバイクで流していた岩城さんですが、
そんな中、ロックバンド「キャロル」の矢沢永吉さんが、ライブの演出として、「クールス」の参加をリーダーである舘さんに持ちかけてきたそうで、
(矢沢さんは、イギリスのロックバンド「ザ・ローリング・ストーンズ」がアメリカのバイカーギャング「ヘルズ・エンジェルス」を親衛隊にコンサートを行ったことに影響を受けて、同じような演出にしたいと考えてのことだったそうです)
1975年4月13日、岩城さんら「クールス」は、日比谷野外音楽堂で開催された、「キャロル」の解散コンサートで親衛隊を務めると、
芸能人でないにもかかわらず、熱狂する「キャロル」のファンから「キャロル」を守る親衛隊として、一躍、脚光を浴びます。
(矢沢さんが、どのように「クールス」を知ったのかは不明ですが、「クールス」は、原宿・表参道の神宮前交差点近くにあった「原宿レオン」という、多くのクリエイターが出入りするカフェをたまり場にしていたことから、店の前に黒いオートバイを並べている様子は、大変注目を集めたそうなので、矢沢さんも、そんな「クールス」の噂を聞きつけたのかもしれません)
スカウトされて「新幹線大爆破」で映画デビュー
そんな中、岩城さんは、ハーレーダビッドソンに乗った写真を、「平凡パンチ」と「週刊プレイボーイ」に掲載されているのですが、
その写真を見た「東映」に、
70万円やるから映画に出ないか
と、スカウトされ、1975年、「新幹線大爆破」で映画デビューを果たします。(セリフはなかったそうです)
「新幹線大爆破」より。女性の脇からちょろっと横顔が見えるのが岩城さん。
そして、「クールス」も、同年、チームの中から選抜された7名と、ベースとして紹介された大久保喜市さんの計8名で、アメリカンスタイルのロックンロールバンド「クールス(COOLS)」として、ファーストシングル「紫のハイウェイ」でデビューしているのですが、
岩城さんは、音楽にまったく興味がなく(そもそも、矢沢永吉さんのことも知らなかったそうで)、この「クールス(COOLS)」のデビューには参加されませんでした。
「平凡パンチ」に掲載された岩城さん(23歳)。
舘ひろしとの間に深い溝ができる
ちなみに、役者として「東映」から映画デビューが決まった岩城さんは、
なんとか他のメンバーも出られないか
と、「クールス」の他のメンバーの出演も、「東映」に掛け合っていたそうですが、
「クールス」のリーダーの舘ひろしさんが、
バンドもやって、映画にも出たら、メンバーに驕(おご)りができてチームがまとまらなくなる
と、心配し、
バンドはやるけど、映画には出ない
と、勝手にこの話を断ってしまったそうで、
岩城さんにしてみれば、
せっかく東映に話したのになんだよ
と、それ以来、あれほど仲が良かった二人の気持ちにズレが生じ始めたといいます。
「岩城滉一は昔覚醒剤取締法違反と銃刀法違反で逮捕されていた!」に続く
岩城さん(左)と舘ひろしさん(右)。