早稲田大学中退後、保険会社やボーリング場の支配人など職を転々とすると、どこの職場でも強い印象を残したタモリさんですが、友人を訪ねたホテルの帰り、なんと、見ず知らずの他人のドンチャン騒ぎに乱入していたといいます。そして、偶然にもその部屋は渡辺貞夫さんのコンサートに同行していた、山下洋輔さん(ジャズピアノ)と中村誠一さん(テナーサックス)と森山威男(ドラムス)の3人の部屋だったのですが、3人は大喜びしたといいます。
「タモリの若い頃は朝日生命の優秀な営業マン(保険外交員)だった!」からの続き
タモリは見ず知らずの他人(山下洋輔、中村誠一、森山威男)の部屋のどんちゃん騒ぎに乱入していた
タモリさんは、1972年、博多で渡辺貞夫さんのコンサートが開かれた際、コンサートスタッフに大学時代のジャズ仲間がいたことから、コンサート終了後、その友人が泊まっていたホテル「タカクラホテル福岡」に会いに行ったそうで、深夜まで友人と飲んでいたそうですが、
午前2時頃、帰宅しようと部屋を出て廊下を歩いていると、どこからか、どんちゃん騒ぎと笑い声が聞こえて来たそうで、半開きになっていた、それらしい部屋を見つけ、ドアの隙間からそっと覗くと、
籐椅子の底が抜けたものををかぶった虚無僧(こむそう)が、歌舞伎や狂言の真似をしているのが見えたそうです。
虚無僧
これを見たタモリさんは、
俺の感覚と同じじゃないか。これは俺を呼んでいる!
と、思ったそうで、
なんと、歌舞伎口調で「この世の~」と歌い、中腰で踊りながらそのどんちゃん騒ぎに乱入したというのです。
タモリは散々どんちゃん騒ぎした末に「森田」とだけ名乗って帰っていた
実は、ここにいたのは、渡辺貞夫さんのコンサートに同行していた、山下洋輔さん(ジャズピアノ)と中村誠一さん(テナーサックス)と森山威男(ドラムス)の3人だったのですが、
タモリさんが、「ヨォー」などと言いながら中村さんのそばまで行き、中村さんの頭から籐椅子を奪い取って、自分の頭に載せ、一緒に踊り始めると、我に返った中村さんは、その無礼をデタラメな朝鮮語でものすごい勢いで咎(とが)めたそうですが、
なんと、タモリさんもデタラメな朝鮮語で、しかも、中村さんの3倍もの勢いで切り返したそうで、びっくりした中村さんは、それならばと中国語に切り換え、まくしたてたそうですが、タモリさんはというと、その5倍もの速さの中国語で応酬し、
その後、タモリさんと中村さんは、ドイツ語、イタリア語、フランス語、英語と、ことごとくデタラメな外国語の応酬に発展したそうですが、ますますタモリさんが優位になるばかりだったそうです。
すると、突然、タモリさんがアフリカ原住民の顔になり、デタラメなスワヒリ語をしゃべり出すなど、うして、どんちゃん騒ぎは夜明けまで続いたのだそうです。
(ちなみに、山下さんは、ずっと笑いが止まらず、悶絶寸前となっていたそうですが、タモリさんのアフリカ原住民の顔をした際には、呼吸困難になるほど笑い、ベッドから転がり落ちたそうです)
そして、タモリさんは、その日、会社に出勤しなければならなかったことから帰ろうとすると、
中村さんから、
失礼ですが、あなたのお名前は何とおっしゃるのですか
と、尋ねられたそうですが、
タモリさんは、
私は森田と申します
とだけ名乗り、帰宅したのだそうです。
タモリの乱入に山下洋輔と中村誠一は大喜びしていた
ちなみに、この夜のどんちゃん騒ぎは、山下さんが、エッセイ「ピアノ弾き翔んだ」の「全冷中顛末記」で、
朝も白々と明けた頃、この黒ブチ眼鏡に白ワイシャツ、黒ズボンにズック靴の男は、急に真面目な顔になり、ではと言って帰ろうとした。
ドアへと歩いて行くその後姿に向って、もはや浴衣もはだけ、パンツもずり落ちている中村が呼びかけた。「失礼ですが、あなたのお名前は何とおっしゃるのですか」
男は立ち止まり、ドアに手をかけたまま、こちらを向いた。「モリタです」中村は走り寄り、二人は抱き合い、再会をちかった。
と、綴っているのですが、
当の中村さんはというと、子どもの頃、講談本が好きだったことから、虚無僧(こむそう)がお気に入りで、この時、頭にかぶっていたのは、底の抜けた籐椅子ではなく、籐のゴミ箱だったそうですが、
ともかく、虚無僧の格好をして踊っていたところ、10センチくらい開いていたドアから、いきなりタモリさんが歌いながら入ってきたそうで、
怖い感じはしなかったですね。入ってきたときに一瞬、誰かな? と思っただけ。そのままふたりで踊って。バッチリですよ、バッチリ完成されてたと思いますよ。
音楽でいきなりジャムセッションしてうまくいったのと一緒で、感覚的にはジャズ演ってるのとあまり変わらない。
と、語っていますw