「石原プロモーション」に入社を志願して断られるも、たまたま新聞で目にした、俳優養成所(劇団「フジ」)のオーディションを受けて見事合格すると、そこで演技の基礎を学びつつ、テレビドラマデビューも果たした、松平健(まつだいら けん)さんですが、やがて、思わぬ大物俳優と出会い、可愛がられるようになります。

「松平健は昔ウルトラマンタロウの最終選考で落選していた!」からの続き

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勝新太郎の付き人になる

俳優養成所である劇団「フジ」で演技の勉強をしつつ、1972年、19歳の時には、「マドモアゼル通り」でテレビドラマデビューを果たした松平さんですが、

1974年には、勝新太郎さん主演のテレビドラマ「座頭市物語」の脚本家が、劇団「フジ」のために脚本を書いてくれたことがきっかけで勝さんを紹介されると、

勝さんから、「京都に来れるか?」と誘われたそうで、「宝映テレビプロダクション」から、勝さんの事務所「勝プロダクション」に移籍。

その後、松平さんは、勝さんの付き人をしながら、「座頭市物語」の撮影現場に行く日々を過ごします。

「座頭市物語」で浅丘ルリ子の相手役

ただ、松平さんは、すぐにでも仕事がもらえると思っていたそうで、

そんな日々が半年ほど続くと、

もしかしたらこんな毎日が永遠に続くのではないか

と、不安がよぎり始めたそうです。

それでも、1975年には、「座頭市物語」の最終話(第23話)「心中あいや節」に出演することになったそうで、

そこでひと安心というか、やっと自分も役者として前進できる日が来たかという心境でした

と、喜んだそうですが、

その役柄は浅丘ルリ子さんの相手役だったそうで、まだ駆け出しの新人俳優だった松平さんにとっては、銀幕の中のスターである浅丘さんとの共演はうれしい反面とても緊張し、

あの浅丘さんとご一緒するのか

と、一気に身が引き締まったそうです。


「座頭市物語」出演時の松平さん。

「座頭市物語」への出演は勝新太郎の周りへの説得で実現していた

ところで、この「座頭市物語」は勝さんが監督を務められていたのですが、勝さんは現場でよく、

脚本なんていらない、脚本はあくまでベースでしかない

と言って(脚本家の先生がそこにいるのにもかかわらず(笑))、アドリブを重要視していたそうで、その場に立って湧いてきたことを出すのが大切で、セリフも覚えてくるなと言われ、松平さんは、その点でも緊張したそうですが、

そんなことを普段口にしていた勝さんが、なぜか松平さんには前日にリハーサルをしてくれたそうで、セリフもしっかりと覚えてこいと言われたそうです。

しかし、それは、勝さんが、松平さんが浅丘ルリ子さんの相手役をやることに反対意見があった中、「俺が撮るから大丈夫」と言って周りを説得していたそうで、松平さんはそのことを後で知り、勝さんへの感謝を口にされています。

お昼のドラマ「人間の條件」の主演に抜擢される

そんな松平さんは、1976年には、お昼のドラマ「人間の條件」のオーディションを受けると、見事、主人公・梶役に抜擢。ドラマも好評を博すのですが、放送終了後は、(役のイメージが強過ぎたせいか)パタリと仕事が来なくなってしまったそうです。

そんな中、いろいろな人が、友情出演や相手役のオファーなどをしてくれたそうで、当時、まだ若く、それほど深く考えていなかった松平さんは、来る役はなんでもやりたいと思っていたそうですが、

師匠である勝さんからは、

主役しかやるな

給料はやるから、勉強していろ

と、言われたそうで、結局は勝さんの言うことを聞くことにしたのだそうです。

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勝新太郎から俳優の「格」を磨くことを教わっていた

また、

撮影のとき、食事に連れていってもらったり、キャバレーに呼ばれて行ったり。勝先生はキャバレーでも、突然、ステージにあがって歌い出してしまうのです。

人を楽しませるのが大好きなんですよ。ディナーショーに呼ばれていくと、ステージに上がれと言われて、デュエットしたりもしましたね

と、松平さんは勝さんにとても気に入られていたようで、

勝さんには、

安い居酒屋に10回行くなら、その金を貯めて銀座のクラブに1回行け。そして、銀座の高級クラブにいる人間をじっくり観察しろ。映像にはその人のプライベートが出る。安い酒場にいるやつは、その色がすぐに出てくる

とも、言われたそうですが、

松平さんは、

それまではアクションものが好きだった私でしたが、勝先生と出会って時代劇の面白さに気づけたように思います。あの頃は本当にたくさん裏方にもプロフェッショナルな職人さんがいて、みんなで凄いものを作っていたという実感がありました。勝先生が教えてくれたものは、俳優としての“格”だったのでしょう

と、勝さんの教えを忠実に実行し、着実に俳優としての「格」を磨いて行かれたのでした。

「松平健の「暴れん坊将軍」は勝新太郎のアドバイスで役作りしていた!」に続く

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