1951年「我が家は楽し」で映画デビューすると、その後、数多くの作品で鶴田浩二さんの相手役を務めて人気を博し、1953年~1954年の映画「君の名は」3部作では大ブレイクした、岸惠子(きし けいこ)さんですが、その勢いは留まることを知らず、その後、結婚&離婚を経ても、第一線での活躍が続きます。
「岸惠子の若い頃は「君の名は」でブレイクし「真知子巻き」が大流行!」からの続き
久我美子、有馬稲子と「にんじんくらぶ」設立
「君の名は」で大ブレイクした後も、「松竹」の看板女優として絶大な人気を誇った岸さんですが、その一方で、1954年には、久我美子さん、有馬稲子さんと3人で映画制作プロダクション「文芸プロダクション・にんじんくらぶ」を設立されており、
1955年「胸より胸に」
1957年「黒い河」
1959年「人間の條件・第一・第二部」
「人間の條件・第三・第四部」
「黒い河」より。仲代達矢さんと有馬稲子さん。
1961年「人間の條件・完結篇」
1962年「からみ合い」
1964年「乾いた花」
「怪談」
「怪談」より。雪女に扮する岸さん。
などの作品を制作されています。
国際派女優として
また、1955年には、岸さんがヒロインを演じられた映画「亡命記」が、「東南アジア映画祭」に出品されると、岸さんは「最優秀女優主演賞」を受賞。
「亡命記」より。佐田啓二さんと岸さん。
さらには、この時、審査委員を務められていた、イギリス人監督デヴィッド・リーンさんから、新作「風を知らない」の主演でオファーを受け、出演前から大きな話題になったのでした。
(結果的には、製作が大幅に延期したため、出演を断念されています。)
市川崑監督作品の常連として40~60代でも数多く主演&準主演
その後、人気絶頂の1957年、25歳の時には、フランス人映画監督イヴ・シャンピさんと電撃結婚してフランスに移住し、世間を驚かせた岸さんですが、結婚後もフランスと日本を往復しながら女優活動を続けられ、
1975年、43歳の時には離婚されるも、引き続きフランスに在住し、日本とフランスを往復する日々を送られます。
そして、1977年、市川崑監督映画「金田一耕助」シリーズ第2作目「悪魔の手毬唄」に出演されると、近親相姦を防ぐために3人の娘を次々と殺害する悲しい母親役を演じ、大きな話題に。
「悪魔の手毬唄」より。
また、その後も、
1978年「女王蜂」
1980年「古都」
1983年「細雪」
1991年「天河伝説殺人事件」
「細雪」より。(左から)岸さん、佐久間良子さん、古手川祐子さん、吉永小百合さん、石坂浩二さん。
など、市川監督の作品に出演されており、
一般的には、主人公を演じにくくなる40代~60代にも、市川監督作品で主演や準主演に起用され、華やかな女優人生を歩んでおられます。
岸さんと市川崑監督。