タレントやプロレスラーのほか、趣味である怪獣フィギュアの膨大なコレクションを紹介するなど、多方面で活動されている、なべやかんさんですが、実は、なべさんの父親は昔大きな話題となったタレントで、母親は「東宝」の女優でした。今回は、そんななべさんの両親についてご紹介します。

「なべやかんは小5から怪獣フィギュアをコレクションしていた!」からの続き

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父親はなべおさみ

なべさんのお父さんは、コメディアン、俳優、タレント、ラジオパーソナリティーと幅広く活動されている、なべおさみさんです。


なべおさみさん。

おさみさんは、小学生の時、役者に憧れていたそうですが、高校生の時には、銀座にあった不良少年がたむろするコーヒー店「ダイヤモンド」を取り仕切るようになるなど、ヤクザに憧れるようになったそうです。

そんな中、新天地を目指した渋谷で不良少年とケンカになった際、「安藤組」の大幹部・花形敬さんが仲裁に入り、不良には向いていないから大学へ行けと、自身の母校・明治大学進学を勧められたそうで、おさみさんはこの助言に従い、1958年、明治大学文学部演劇学専攻に入学されたそうです。

父親・なべおさみは放送作家⇒歌手・水原弘の付き人

しかし、大学入学後、「安藤組」が襲撃事件を起こしたことから、敬愛する花形さんが心配になったおさみさんは、事件のほとぼりが冷めた頃、襲撃事件の現場に駆けつけると、その帰り、偶然、放送作家・三木鶏郎さんの「三木トリロー事務所」の看板を見つけたそうで、コメディアンとして弟子入りを希望。

ただ、結果的には、コメディアンとしてではなく、コント書き(放送作家)として修業することになったそうで、その後、放送作家としてデビュー。

その後、放送作家として活動されていたのですが、やがて、「渡辺プロダクション」に移籍しようとしていた歌手・水原弘さんに誘われ、水原さんの付き人に転身。

すると、付き人としてコツコツと仕事をこなしていたおさみさんの働きぶりに目を留めた「渡辺プロダクション」社長の渡辺晋さんから、重大な任務を任されるようになっていったそうです。

父親・なべおさみは「シャボン玉ホリデー」「ルックルックこんにちは」で人気を博していた

そして、約3年後には、水原さんが「渡辺プロダクション」を退社し、次は、ハナ肇さんの付き人になったそうですが、ハナさんの付き人を務めるかたわら、ラジオのディスクジョッキー、構成作家、ジャズ喫茶の司会などもこなし、1964年、「シャボン玉ホリデー」のコント「キントト映画」で映画監督に扮すると、たちまちブレイク。

1968年には、映画「温泉ゲリラ 大笑撃」で主演、続く、映画「吹けば飛ぶよな男だが」でも主演に抜擢され、俳優としての地位も確立すると、

その後、「渡辺プロダクション」を退社し、森繁久彌さんの付き人を経て、1978年には、ワイドショー「ルックルックこんにちは」のコーナー「女ののど自慢」で司会を担当し、人気を博します。

ただ、公私ともに順調だった1991年、「明治大学替え玉事件」を起こして、世間から激しいバッシングを浴び、すべての芸能活動を自粛。

それでも、1992年、「笑っていいとも!」のコーナー「テレフォンショッキング」のゲスト出演で、約1年ぶりにテレビ出演を果たすと、1994年には、本格的に芸能活動に復帰。

以降、舞台や公演を中心に活動されると、2019年には、吉本興業に所属して吉本新喜劇に出演するほか、2020年には、youtubeチャンネルを開設されるなど、今なお、精力的に活動されています。

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母親は元女優の笹るみ子

また、なべさんのお母さんは、元女優の笹るみ子さんです。


笹るみ子さん。

るみ子さんは、1957年、17歳の時、スカウトされて「東宝」に入ると、同年、「青い山脈」で女優デビュー。その後も、立て続けに映画に出演されているのですが、1966年に芸能界を引退。

翌年の1967年には、なべおさみさんと結婚し、同年、長女(なべさんの姉)を、1970年には、なべさんを出産すると、子育てに専念されています。

その後、夫・おさみさんが、1991年、「明治大学替え玉事件」を起こし、芸能界から干され、ご近所から総スカンを食らった際には、おさみさんをサポートし続けられているのですが、

2013年頃から、「膠原(こうげん)病」を患い闘病生活となると、2016年9月末には体調を崩して入院。翌月の10月7日には、「間質性肺炎」のため、76歳で他界されています。

「なべやかんの少年時代は勉強が苦手でカンニングの常習犯だった!」に続く

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