幼少期はピアノの才能に恵まれるも、高校生になると、手が小さかったことからピアノを断念し、声楽へと転身された、天地真理(あまち まり)さんですが、ある日、ラジオの深夜放送で森山良子さんの曲を聴いたことをきっかけにフォークソングに興味を持つと、その後、トントン拍子で芸能界入りを果たします。

「天地真理は高校の時ピアノを諦めカンツォーネを歌っていた!」からの続き

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女優・天路圭子との出会い

高校在学中に、森山良子さんやジョーン・バエズさんなどに影響を受け、フォークソング歌手を目指し始めた天地さんですが、

高校卒業後の1970年夏、成城の洋品店に買い物に訪れた際、たまたま、友人であるこの洋品店のオーナーを訪ねていた女優の天路圭子(あまじ けいこ)さん(映画監督・斎藤耕一さんの妻)が、天地さんを見て、「なんてステキな笑顔」と、天地さんを喫茶店へと誘ったそうで、

その後、天地さんは、天路さんに誘われて、天路さんが経営するスナック「モン・ルポ」でアルバイトを始めることに。

すると、天地さんは、時々、ギターの弾き語りをし、「小さな私」(後の天地さんのヒット曲「水色の恋」の原曲)を、お客さんと一緒に歌うなど、早くも、人気を博したのだそうです。


天路圭子さん

(天地さんは、帰りが遅くなることや、スナック「モン・ルポ」から自宅・神奈川県座間市が遠かったことから、天路さんが同僚と住んでいたマンションに一緒に住んでいたそうで、天路さんにとても目をかけられていたようです。)

天路圭子の導きで芸能界入り

そんな中、天地さんは、天路さんに勧められ、「ビクター」「CBSソニーレコード」(現在のソニーレコード・ミュージックエンタテインメント(SMEJ))のオーディションを受けると、見事、両方合格したそうで、

(天路さんのスナックは会員制だったそうですが、会員には芸能関係者が多かったことから、天路さんはその人脈を活かし、天地さんにオーディションを受けさせたのだそうです。)

より熱心だった「CBSソニーレコード」に入ることに決めると、さらに、「CBSソニーレコード」の中曽根ディレクターの紹介で「渡辺プロダクション」に所属することが決まるなど、あっという間に芸能界入りされたのでした。

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映画「めまい」でデビュー

そんな天地さんは、1971年には、芸名を「斉藤マリ」として、映画「めまい」に端役で初出演されているのですが、

この作品の監督は、天路さんのご主人・斎藤耕一さんで、天路さん自身も出演されており、ずぶの素人だった天地さんが出演できたのは、天路さんの計らいがあってこそだったのですが・・・

(天路さんの本名は、天地さんと同じ「斎藤」だったため、天路さんは、天地さんを姪と紹介されたそうです)


「めまい」より。萩原健一さんと天地さん。

天地さんはというと、

高校生の時ですね。音大への進学と幼稚園の先生になる夢を諦めて、歌手になろうと思いました。歌のオーデションやコンクールにもたくさん出たりして、歌手になる夢にトライしていました。

結局、CBSソニーのディレクターの中曽根さんにスカウトされました。(芸能界入りを)母は反対しましたね。

と、恩人である天路さんのことには一切触れていません。

「渡辺プロダクション」による天地さんの公式の経歴でも、TBSの視聴者参加番組「ヤング720」で歌唱している天地さんを見たCBSソニーレコードの中曽根ディレクターが、天地さんに電話をしたのが、歌手デビューのきっかけとなっており、口には出せない様々な事情があるのかもしれません。)

「天地真理が若い頃は「水色の恋」が大ヒットしていた!」に続く

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