デビューシングル「可愛いベイビー」の大ヒットのイメージが大き過ぎることから、一発屋と思われがちな、中尾ミエ(なかお みえ)さんですが、実は、その後も、ヒット曲を連発されているほか、女優、タレントと、マルチに活躍されています。

「中尾ミエが若い頃は伊東ゆかりと園まりで「スパーク3人娘」!」からの続き

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シングル「片想い」が6年越しで大ヒット

中尾さんは、デビューシングル「可愛いベイビー」が大ヒットした後も、

「いちごの片想い」(1963年2月)
「涙のバースディ・パーティ」(1963年8月)
「アイドルを探せ」(1965年1月)
「夢みるシャンソン人形」(1965年10月)


「いちごの片想い」

などのカバー曲がヒットするほか、

1965年以降は、オリジナル曲も数多くリリースし、

「おんなのこだもん」(1964年1月)
「淋しいから」(1965年12月)
「花のさだめ」(1968年1月)
「恋のシャロック」(1968年7月)


「おんなのこだもん」

がヒットを記録。

そして、1971年11月にリリースした「片想い」は、当初は売れず、やがて廃盤となっていたのですが、1977年2月、札幌の有線放送で人気が急上昇すると、このことをきっかけに全国的ヒットの兆しが高まったことから、発売元の「ビクター」が急遽、再発売すると、30万枚を売り上げる大ヒット。


「片想い」

こうして中尾さんは、着実に、人気、実力を兼ね備えた歌手としての地位を築かれたのでした。

女優、タレントなどマルチな活動で人気

また、中尾さんは、歌手活動のかたわら、1961年には、テレビドラマ「若い季節」で女優デビューもされているのですが、その後、「渡辺プロダクション」の渡辺晋社長が「東宝」のプロデューサーになったことから、

(同じく「渡辺プロダクション」所属の)クレイジーキャッツ主演の映画や、森繁久彌さん主演の「駅前シリーズ」など、「東宝」映画にはほとんど出演されるなど、女優としても活躍。


「若い季節」より。(左から)園まりさん、伊東ゆかりさん、中尾さん、黒柳徹子さん、植木等さん。

2009年からは、情報番組「5時に夢中!」に金曜日のコメンテーターとして出演し、歯に衣着せぬコメントで人気を博すなど、歌手、女優、タレントと、マルチな活動を展開されているのですが、

中尾さんは、

ヒット曲が無い時は芝居に出させて頂いていたし、いろいろやらせて貰(もら)っていたので。だから周囲からは「器用貧乏は駄目だ」とか言われてたんですけど、今となったら器用貧乏が身を助けてくれたなと。

中学までしか出ていないんです。だから学校に行かなかった分、何かで学ばなくてはと思って。それには人だなと。それも違う世界の人と会って学びたいと思っていましたね。

で、社長に「なるべく外の仕事をさせてください」ってお願いしたんです。あの頃、渡辺プロは”王国”だったから。

と、自ら、女優業に進出したことを明かされています。

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「渡辺プロダクション」から独立も30年ぶりに古巣に復帰していた

ちなみに、中尾さんは、1992年、

社長が亡くなった後、ここに居れば私は守られるけど、甘えてしまって駄目になると思ったので、ちょうど30年目のキリのいいところで「外に出させてください」って、辞めさせてもらったんです。

と、渡辺晋社長が他界したことで、約30年間所属した「渡辺プロダクション」から独立。以降、個人事務所を設立し、個人で活動をされていましたが、

2019年6月、ブロードウェーミュージカル「ピピン」で、「ワタナベエンターテインメント」所属の主演・城田優さんの祖母役を演じられると、

渡辺プロダクションからデビューして30年。独立し、武者修行を経て約30年。社会人として還暦を迎える今、「ピピン」で優くんと共演でき、私もまだいける!と思い、古巣に戻って参りました。

とてもうれしく思っております。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

と、これをきっかけに、再び、古巣である「ワタナベエンターテインメント」(「渡辺プロダクション」のマネジメント部門を分離し設立)に戻られています。

「中尾ミエのデビューからの出演映画ドラマ舞台を画像で!」に続く

城田優さんと中尾さん。

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