演出家の石井ふく子さんに北極点挑戦のための休みをもらい、復帰後の仕事まで約束してもらうと、様々な冒険家の協力を得て、いよいよ、北極点へ旅立った、和泉雅子(いずみ まさこ)さんですが・・・1回目の挑戦は失敗に終わり、1億円もの借金を抱えたといいます。

「和泉雅子は北極点挑戦のため1人でテントで寝起きする試験を受けていた!」からの続き

Sponsored Link

北極点到達に向けて出発

1985年1月28日、和泉さん率いる「マコ隊」は、北極点踏破を目指し、日本を出発すると、同年1月31日には、カナダ・レゾリュートに到着。

そして、いよいよ、同年3月21日、北極点への出発地であるワードハント島近くの氷上にツインオッター機で降り立つと、3月23日、北極点踏破を目指し、スノーモービルでそりを曳いて同地から出発します。

マコ隊は遠征途中でメンバーが入れ替わっていた

ちなみに、「マコ隊」は当初、和泉さん、大谷映芳さん(テレビ朝日ディレクター、早稲田大学山岳部OB、K2登頂者)、伊藤周左エ門さん(登山家・冒険家)、アムシ・アマゴリアックさん(イヌイット)、ピジャミニ・アブラハムさん(イヌイット)、オココ・カラックさん(イヌイット)の6人だったのですが、

5月6日の物資補給時には、「隊を軽量化する」とのベースキャンプの判断で、伊藤周左エ門さんとピジャミニ・アブラハムさんが帰還。

5月19日の物資補給時には、五月女次男さんが加わり、最終的には、和泉さんを含めて5人となったそうです。

氷河に行く手を阻まれ断念

さて、こうして、5人で北極点を目指した「マコ隊」ですが・・・

北極点まであとわずか148キロというところで、目の前に大きな氷の割れ目ができて海が現れ、そのうえ、その割れ目に取り囲まれ、離れ小島のようになって1歩も動けなくなってしまい、出発から62日目の同年5月22日、惜しくも、断念。

和泉さんは、この時のことを、

ショックを受けて、赤ちゃんみたいに泣きました。生きて日本に帰るのは恥ずかしいとか馬鹿なことも考えました。でも、生きてさえいれば、命さえあれば北極点なんて何遍だって挑戦できるんだ。あの北極点は一生涯、地球のてっぺんから逃げない。

死んでしまったら二度と挑戦なんてできない。帰国して両親にも会えません。友達とおしゃべりできない。そんなこともできない人生って、なんてつまんない、バカバカしい、って思ったんです。

そしたら不思議なことに、たった今まで死ぬと叫んでいたのが、急に気分がさわやかになって、事実上、私は昭和60年5月22日に断念いたしました。

と、語っておられます。

(ちなみに、和泉さんは、「生きていれば何回でも北極に行ける」と思えたから引き返せたそうですが、この断念するという決断は非常に重要で、たいていの人は、トイレに行くときにもロープをつけて行かなければならない極限状態の中、なかなか引き返す決心ができず、そのまま突き進むか、自殺するか、悲惨な末路をたどってしまうようです。)

2回目の挑戦で北極点到達に成功

そして、この北極遠征により、和泉さんは1億円以上もの借金を抱えるのですが、全国の市町村からたくさんの講演会の依頼を受けたことから、毎日、寝る間を惜しんで働き、借金を完済すると、1989年1月28日には、再び北極点到達を目指して成田を出発し、2月1日、カナダのレゾリュートに到着。

同年3月9日には、1回目と同様、ツインオッター機でワードハント島近くの氷上に降りたち、スノーモービルでそりを曳いてワードハント島から出発すると、同年5月10日午前6時30分、ついに、見事、北極点到達に成功したのでした。

(日本人女性として初の北極点到達。世界でも女性としての北極点到達は2人目ながら、徒歩による到達は初。)

ちなみに、メンバーは当初、大谷映芳さん(テレビ朝日ディレクター、早稲田大学山岳部OB、K2登頂者)、山主文彦さん(日本大学山岳部OB)、オココ・カラックさん(イヌイット)、ジョー・アマゴーリックさん(イヌイット)さんの4人だったのですが、

2回目の北極点挑戦となる今回は、6回行われた補給フライトのたびに隊員のメンバーを入れ替え、出発から北極点到達まで通して和泉さんに同行したのは、大谷映芳さんとオココ・カラックさんの2人だけだったそうです。

Sponsored Link

和泉雅子のコメント

それでは、ここで、和泉さんの喜びのコメントをご紹介しましょう。

二度目の挑戦は平成元年。1月28日、成田を出発。5月10日午前6時30分、北極点、地球のてっぺん北緯90度、あんなに立ちたかった北極点、あんなに見たかった、地球のてっぺんの景色を見ることができました。

62日、2ヶ月かけて北極点に立ったわけです。帰りに飛行機乗って4時間で帰りました。がっくりきました。北極点は一歩ずつコツコツと、一生懸命近づくから値打ちがあるのかな、価値があるのかなと思います。

(北極点に到着した瞬間は)何にも思わなかった。もう、足がよれよれでね、くたびれちゃっていたから。「これでやっと帰って餃子で一杯か!」くらいで。

逆に、帰ってきて1週間ぐらい経ってから、「ああ、本当に北極点に到達したのか!」って。そんな感じよね。いやあ~、でも、面白かったわよ~!「遠征って、こんなにも楽しいものなのか!」って。

(北極点の景色については)あれは、ベースキャンプのある村とほとんど一緒だったわね(笑)北極点の景色が見たくて行ったのに!(笑)

「和泉雅子の北極遠征中は毎日1人で1キロの肉を食べていた!」に続く

北極点から無事に帰国された和泉さん。

Sponsored Link