人見知りが激しく引っ込み思案だった性格を心配したお母さんに勧められ、高校入学時に演劇部に入部すると、先輩で部長の辻萬長さんにマンツーマンで演劇を基礎から教わった、村井國夫(むらい くにお)さんは、やがて、演技の才能が開花し、本格的に俳優を目指すようになります。

「村井國夫の生い立ちは?人見知りを治すため演劇部に入部していた!」からの続き

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「瓜子姫とアマンジャク」で初舞台

高校の演劇部で、先輩で部長の辻萬長(つじ かずなが)さんに基礎から演劇を教えてもらった村井さんは、初舞台「瓜子姫とアマンジャク」(木下順二作)では、瓜子姫のおじいちゃん役を演じたそうですが、

これが評判となり、推薦で県の文化祭に参加するほか、音楽の先生には、「声がいい。声楽家にならないか?」と褒められたそうで、

村井さんは、それまで、演劇をやっていることに少なからず迷いがあったそうですが、褒められたことで迷いが消え、お芝居を続けることを決意したそうで、授業が終わったら部室に直行するなど、芝居漬けの生活が始まったそうです。

「俳優座」の授業で言葉の使い方について教わる

その後、村井さんは、辻さんが「俳優座」養成所に入所したことに刺激を受け、高校卒業後の1963年春、辻さんの後を追うように、養成所の入所試験を受けると、見事合格。

(憧れていた山崎努さんや仲代達矢さんの出身でもあったことから「俳優座」養成所を受けたそうです)

「俳優座」養成所の授業では、劇作家の田中千禾夫さんや演出家の栗山昌良さんに、言葉の使い方について徹底的に教わるほか、

養成所の一つ上の先輩である、斎藤憐さん(後に劇作家)や佐藤信さん(後に演出家)からも、「セリフ」の大切さを教わったそうで、

村井さんは、

お二人から教わったことは大きいですね。たとえば、佐藤さんは一つのセリフを言うにしても、その言葉がどこから発想されたものなのかを聞いてきます。

それは相手の言葉を受けてどう心が動いてそのセリフを言っているのか考える、ということです。僕が答えられなかったり、いい加減に言ったりすると、「違う。ここからだ」と教えてくれました。

と、語っておられます。

舞台「テンコウ」がプロの俳優としての原点

そんな村井さんは、1966年7月、(3年生)舞台「テンコウ」で初舞台を踏まれているのですが、

斎藤さん(台本)と佐藤さん(演出)から、

國夫、お前も出ろ

と、誘われての出演だったそうで、

佐賀の田舎から出てきて、何もできず、自信もない自分を(1年生の時は暗くて人と話すこともできなかったそうです)、みんなでお芝居をする時に誘ってもらえたことで、仲間入りができた

と、とてもうれしかったのと同時に、この「テンコウ」で芝居作りの面白さを知り、

僕のプロとしての原点はそこにある

と、語っておられます。

(養成所では、3年生になるまでお芝居をしてはいけない決まりがあったそうで、村井さんも3年生になってからの初舞台だったそうです)

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同期には後に「花の15期生」と呼ばれるメンバーが勢揃いしていた

ところで、村井さんの同期には、地井武男さん、原田芳雄さん、林隆三さん、太地喜和子さん、赤座美代子さん、前田吟さん、夏八木勲さん、高橋長英さん、竜崎勝さん、秋野太作さん、栗原小巻さん、小野武彦さん、三田和代さんら錚々(そうそう)たるメンバーが勢揃いしており、後に「花の15期生」と呼ばれるのですが、

このことも、村井さんには良い刺激となったそうで、

村井さんは、後に、

養成所では先輩や同期に恵まれたことが、何より幸運だった

と、語っておられます。

「村井國夫の若い頃は串田和美らの「自由劇場」に参加!」に続く

(左から)夏八木勲さん、村井さん、小野武彦さん、地井武男さん、前田吟さん、高橋長英さん、竜崎勝さん。

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