主演ドラマ「あぶない刑事」シリーズが大ヒットを記録すると、その後は、数多くのテレビドラマや映画に出演し、いつまでも変わらぬ渋さが魅力の、舘ひろし(たち ひろし)さん。今回は、そんな舘さんの生い立ちについてご紹介します。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

舘さんは、1950年3月31日生まれ
愛知県名古屋市中区老松町(現・名古屋市中区千代田)のご出身、

身長179センチ(もともとは181センチだったそうですが、縮んだそうです)、
体重68キロ、

血液型はA型、

本名は、「舘 廣(たち ひろし)」、

学歴は、
名古屋市立新栄小学校
⇒名古屋市立白山中学校
⇒愛知県立千種高等学校
⇒千葉工業大学工学部建築学科中退

趣味・特技は、
ゴルフ、オートバイ、乗馬、ヨット、

ちなみに、舘さんは、先祖が徳川家の家来(尾張藩の武士)で、徳川家から拝領した築300年の武家屋敷に住んでいたそうです。

内科医の父親のもと裕福な少年時代

舘さんは、内科医のお父さんのもと(舘さんが中学生の時に開業)、3人兄弟(弟と妹)の長男として誕生すると、洋服屋で仕立てた、襟にビロードがついたコートを着るなど、裕福な家庭環境の中、お坊っちゃんとして育ちます。

また、おじいさんがイギリス好きだったため、舘家には、イギリス式にティータイムを楽しむ習慣があったほか、

お父さんからも、よく、

男子たるもの紳士たれ

と、言われたそうで、

舘さんは、

紳士の定義は自己犠牲じゃないかと思うんですよ。僕もそうありたいと思っています

と、外見的なことだけではなく、内面的にもイギリス式の教育を受けられたのでした。

実際、お父さんは、自分が悪いと思ったら、「昨日は理不尽なことで怒って申し訳ない」と、子どもにでも謝る人だったそうです。

一方、お母さんは、まだ小学校1年生だった舘さんを、お母さんの実家がある三重県四日市市まで、名古屋駅から出ているバスで一人旅させるほか、お父さんの跡を継がせて医者にするため、勉強にはとても口うるさい、教育ママだったそうです。

高校時代はラグビーに熱中

そんな環境で育った舘さんは、

お父さんが、

大丈夫だよ、と言いながら(患者の)手を取ってあげるのが医者だ

と、よく言っていたことから、

子どもの頃から、お父さんのような医者になりたいと、当たり前のように医者を目指していたそうで、小学校の頃から成績は優秀で、高校は地元でも屈指の進学校である千種高校に進学。

千種高校では、ラグビー部の主将にスカウトされ、ラグビー部に入部すると、たちまちラグビーに夢中になり、ラグビーに明け暮れる日々を送られます。

ただ、進学校だったため、勉強が優先で、試合には負けることが多かったそうですが、舘さんが主将を務めた高校2年生の時には、県大会ベスト8まで進んだそうです。


高校時代の舘さん。

母校のラグビー部員勧誘のためヘリで駆けつけていた

ちなみに、千種高校は、1999年、初の全国大会出場を果たしているのですが、当時、ラグビー部の監督だった桑田先生が熱心に勧誘するも、入部する生徒が皆無だったことから、

桑田先生が、OBである舘さんに来てくれるように頼んだところ、

舘さんは、

飛んでいくよ

と、翌日、なんと、本当にヘリコプターで飛んで来られたそうで、舘さん自ら学生をスカウトすると、その甲斐あって、部員が集まり、全国大会初出場という快挙を遂げたとか。

舘さんは、現在も、毎年、正月のOB会に出席されるなど、母校のラグビー部と交流を続けているそうです。

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医師への道を断念し建築家を目指すも・・・

そんな舘さんは、当初の目標であった、医師の道へ進もうと、東京医科大学と奈良医科大学を受験されるのですが、いずれも不合格。

そして、翌年、上京して一年間浪人の末、再び、受験されるのですが、またしても、医学部はすべて不合格となってしまいます。

そこで、舘さんは、医学部進学をあきらめ、

当時交際していた彼女のおじさんの出身校だった

との理由から、千葉工業大学工学部建築学科に進学されると、

高名な建築家になって世界を駆け巡ろう

という野望を抱かれたそうで、

構造力学、図面引きの授業では、予算を無視した独創的な設計が教授から高い評価を得て、成績優秀者が入るゼミに入ったそうですが・・・

それ以外の授業はつまらず、お父さんから教科書代としてもらった12万円で中古のバイクを購入すると、いつしか、東京・原宿あたりで、バイクを乗り回すようになっていったのだそうです。

「舘ひろしは若い頃岩城滉一とバイクチーム「クールス」を結成していた!」に続く

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