2017年12月、47年間連れ添った、前妻の凡子さんと離婚された、橋幸夫(はし ゆきお)さんですが、早くも翌年2018年3月には、再婚されていたようです。今回は、そんな橋さんの現在の奥さんをご紹介します。
離婚の翌年には再婚
橋さんは、前妻・凡子さんと離婚後、早くも2018年3月、74歳の時に、18歳年下の50代後半の一般女性と再婚していたことが、「文春オンライン」(3月7日)により、報じられると、
所属事務所は、「ORICON NEWS」の取材に対し、「報じられている内容については事実です」と回答。橋さんが再婚されたことを認めています。
(所属事務所は、橋さんから事前に再婚の報告を受けておらず、文春からの問い合わせが来るまで知らなかったそうで、橋さんの密かに進められた再婚について、戸惑った様子を見せていたそうです)
ファンクラブツアーと新婚旅行を兼ねていた
また、「デイリー」によると、橋さんは、2018年2月21日~26日(日本時間)の日程で、ファンクラブツアーでハワイに行かれているのですが、
新婚旅行も兼ねていたそうで、スタッフや橋さんの親族も同行されており、橋さんたちは、ツアーとは一緒に帰国せず、そのままハワイに残り、つかの間の新婚旅行を楽しまれたそうで、
現地では、結婚式の代わりに、人前式(じんぜんしき)のような、スタッフや親族が一堂に会した食事会も開催されたそうです。
再婚相手はスタッフ
ちなみに、お相手の女性とは、約3年半前、橋さんの後援会を通じて知り合われたそうで、その後、その女性は、スタッフとして、橋さんを公私ともにサポートされていたとのこと。
また、お二人は、東京近郊の温泉地にある高級マンションで、新たな生活をスタートさせているそうですが、ここ最近、このマンションと橋さんの都内にある仕事専用マンション周辺で、お二人が一緒に歩く姿がたびたび目撃されていたようです。
橋幸夫本人が再婚の真相を語る
そんな橋さんですが、2018年11月、「快傑えみちゃんねる」に出演された際、MCの上沼恵美子さんに問われ、
こういう話はしてはいけないんです。そういう合意書を交わしたので。3つぐらい条文がある
と、前置きしつつ、
(離婚を)言い出したのは僕なんですけど、それまでの数年間がありますので。誤解は当然受けますよね。(報道の)ネタはほとんど身内からしか出ていない
長い間夫婦をやっているといろいろな葛藤がある。それを我慢して最後までいくのも美しいと思う
僕はデビューする時から全部周りの大人が仕組んだ道しか進んでいない。それが嫌で嫌で、感謝はしているけどどうして自分が思っていることをやれないのかなって苦痛が何十年あった。最後くらい自分で決めたい
(離婚後すぐ再婚)しなきゃいけないと思ったのは不倫騒動を起こしてはいけないと思ったので。話をきちっとつけてすぐ再婚しようと思った
僕みたいに自分の行動を起こしたことを揶揄する人もいる。僕はけじめとして、『今持っている僕の財産は全部捧げる』と言った。慰謝料も払うという態勢を取るしかないと思った
と、47年間連れ添った前妻と離婚し、18歳年下の女性と再婚した真相を明かされています。
さて、いかがでしたでしょうか。
橋さんの、
- 年齢は?出身は?身長は?本名は?
- 9人兄弟の末っ子として誕生する
- 家族がいつも歌謡曲を聴いていた
- 小学校の遠足のバスの中では一人だけ歌謡曲を歌っていた
- 小中学校時代は格闘技に夢中だった
- 中学2年の時に「遠藤実歌謡教室」に連れて行かれる
- 「遠藤実歌謡教室」に嫌々通わされる
- 家族が敷いたレールに乗ってプロの歌手を目指す
- 家族の期待を背負っていた
- 遠藤実からオリジナル曲を渡される
- 素人のど自慢大会で初めて客前で歌唱するも散々だった
- 3年間のレッスンは一度も休まなかった
- 遠藤実に「日本コロムビア」のオーディションに連れて行かれる
- 「日本コロムビア」のオーディションは不合格
- 「ビクター」のオーディションを受けることに
- 「ビクター」のオーディションに行くもすでに終わっていた
- 「ビクター」のオーディションでは手応えを感じる
- 「ビクター」に合格するも、まだ嫌で仕方なかった
- 「ビクター」の大ヒットメーカー・吉田正の弟子になる
- 当初「ビクター」には何をするでもなく遊びに行っていた
- レコーディング曲として「潮来笠(いたこがさ)」が決定
- デビュー前に超人気テレビ番組「ロッテ歌のアルバム」に出演
- 当初「ビクター」には何をするでもなく遊びに行っていた
- レコーディング曲として「潮来笠(いたこがさ)」が決定
- デビュー前に超人気テレビ番組「ロッテ歌のアルバム」に出演
- デビュー曲「潮来笠(いたこがさ)」が爆発的な大ヒット
- 「日本レコード大賞」の「新人賞」は橋幸夫のために作られていた
- 橋幸夫は「舟木一夫」という芸名でデビューするはずだった
- デビュー直後は凄まじい忙しさだった
- 年間4~5本の映画に出演
- 高校3年は学校に行かなかったにもかかわらず卒業出来ていた
- 自宅に来たファンを家に上げご馳走していた
- 当初は着物ではなくスーツだった
- 「あれが岬の灯だ」「おけさ唄えば」「喧嘩富士」「木曽ぶし三度笠」「磯ぶし源太」などヒットを連発
- 「いつでも夢を」(吉永小百合とのデュエット曲)が大ヒット
- 「雨の中の二人」「汐風の中の二人」(二人シリーズ)が大ヒット
- 「霧氷(むひょう)」で2度目の「日本レコード大賞」を受賞
- 舟木一夫、西郷輝彦とともに「御三家」と呼ばれていた
- 「御三家」でライバル意識を持っていた
- 2000年には「G3K(御三家)」ツアーを開催
- 出演作品(映画)
- 出演作品(テレビドラマ)
- 「ご存じ金さん捕物帳」で歌う遠山の金さんを演じていた
- 暴漢に襲われる
- 暴漢に背中を軍刀で刺される
- 両手で刃を掴んで応戦
- 全治2週間のケガ
- 犯人は橋幸夫を逆恨みしていた
- 後遺症で現在も小指を伸ばすことが出来ない
- 「佐川急便」創業社長の出資でレコード会社「リバスター音楽産業株式会社」を設立
- 「東京佐川急便事件」後は「ビクター」に戻って歌手に復帰
- ぼんちおさむや清水アキラにモノマネされてバラエティでブレイク
- 「あまちゃん」には橋幸夫(本人)役で出演
- 元嫁は元日本航空の国際線客室乗務員
- 熟年離婚の危機を迎えていた
- 離婚危機を脱した後は夫婦円満だったはずが・・・
- 離婚していた
- 前妻との離婚原因は宗教だった?
- 財産分与は15億円の自宅兼スタジオのビル
- 息子は元俳優の橋龍吾!娘は?
- 離婚の翌年には再婚
- ファンクラブツアーと新婚旅行を兼ねていた
- 再婚相手はスタッフ
- 橋幸夫本人が再婚の真相を語る
について、まとめてみました。
2020年には、歌手デビュー60周年を迎え、
よく、長い間、活躍する秘訣は何かって聞かれるんですけど、秘訣なんかないんですよ。通り一遍な答え方になってしまうんですが、つくづく、ファンやスタッフがあっての自分だなと思いますね。
山の中に住んでるわけじゃないんだから、人があって自分。自分が歌いたいもの、好きなものが、聴く側と違うってことは随分経験していますからね。世間がいい曲と思ってくれて、初めていい曲になるんですよ。
だいたい、僕は才能なんていうのは、普通の人と変わりないんです。もちろん、努力はプロの世界にいる人間として当然のことですが、9割が運ですよね。人間なんて。
と、語っておられた橋さんですが、
低迷時には、自ら進んで、お笑いのネタとなって、バラエティの人気者になられており、この柔軟さが、運を引き寄せ、長い間、芸能生活を続けてこられた、秘訣なのかもしれませんね。
これからも、日本を代表する歌い手として、末永いご活躍を期待したいものです。