1975年、テレビドラマ「俺たちの旅」でブレイクして以降、2時間ドラマやサスペンスを中心に、数多くのテレビドラマや映画に出演し、主人公を引き立てる名脇役として活躍している、田中健(たなか けん)さんですが、実は、若い頃は、アイドル歌手としてデビューしていました。

Sponsored Link

年齢は?出身は?身長は?本名は?

田中さんは、1951年3月6日生まれ、
福岡県筑後市のご出身、

身長173センチ、

血液型はO型、

学歴は、
筑後市立羽犬塚小学校
⇒筑後市立羽犬塚中学校
⇒福岡県立八女高等学校卒業

特技は、
乗馬、遠泳、ベース、ドラム演奏、

趣味は、
茶道と茶杓(ちゃしゃく=抹茶をすくうサジ)作りにハマっているそうで、

お茶をちょっと。茶道を始めまして。茶杓ってあるじゃないですか。竹でできてるんですよ。あれがなんとも好きで。あれを最近ちょっと作る

と、語っています。

ちなみに、本名は、「田中研一(たなか けんいち)」ですが、「あおい健(あおい けん)」「ケニー・テイラーJr」という芸名を使っていた時期もあったそうです。

高校時代はバンド活動をしていた(実力派だった)

田中さんは、八女茶農家を営む両親のもと、3人兄弟(姉と妹)の長男として誕生すると、農業で忙しい両親に代わり、おばあちゃんに育てられたそうです。

そんな田中さんは、成長し、高校生の時、ブラスバンド部でトランペットをすると、

(トランペットを買うためにバイトを一生懸命頑張ったそうで、買うことができた時には嬉しくて仕方なかったそうです)

高校3年生の時には、ロックバンド「シャイニーズ」を結成し(ベースを担当)、ライブ活動をしたそうで、九州で行われたヤマハの「ライト・ミュージック」というコンテストに参加し、優勝したこともある実力派だったそうです。

ちなみに、校則ではライブ活動は禁止されていたため、学校にバレて問題になったことがあったそうですが、

その時、校長先生が、

生徒の未来を閉ざしてはいけない

と、言ってくれたことで、事なきを得たそうで、

田中さんは、

おかげで今があるんだ

と、語っています。

Sponsored Link

ファーストシングル「純愛時代」でアイドル歌手デビューするもパッとせず

こうして、ヤマハのコンテストで優勝するなど、バンドでそれなりの知名度があった田中さんは、高校卒業後は、大学には進学せず、音楽の道を志し、バンド活動を続けていたそうですが、

(当時、大学卒の初任給が4万円くらいだった時代、バンドを掛け持ちすると、10万円くらい稼ぐことができたそうです)

そんな中、1971年、20歳の時、福岡のナイトクラブで働いている時に、アイドル歌手としてスカウトされると、田中さんはこれを了承し、上京。

翌年の1972年、21歳の時には、「あおい健」の芸名で、ファーストシングル「純愛時代」でアイドル歌手デビューするのですが・・・


「純愛時代」より。

パッとせず。

それでも、その後も、

1973年5月「君こそ奇跡」
     10月「恋は一度限り」


「君こそ奇跡」より。


「恋は一度限り」より。

と、シングルをリリースするのですが(いずれも「あおい健」名義)・・・

やはり、売れなかったのでした。

(同じく1972年にデビューした、西城秀樹さん、野口五郎さん、郷ひろみさんの、「新御三家」が熱狂的な人気を集めており、田中さんは、その影に隠れるような形になっていたのだそうです)

「田中健が若い頃は映画「青春の門」で脚光を浴びていた!」に続く

Sponsored Link