高校2年生の時、夏休みのアルバイトで、俳優・西村晃さんの付き人をしたことをきっかけに、その後、正式に西村さんの付き人になった、市村正親(いちむら まさちか)さんですが、24歳の時には、付き人を辞め、いよいよ、舞台デビューします。
「劇団四季」の「イエス・キリスト=スーパースター」で舞台デビュー
1973年、24歳の時、西村晃さんの付き人を辞めた市村さんは、その後の進路について、テレビか、映画か、舞台かと思案したそうですが、最終的には、生の舞台の魅力が忘れられなかったことから、舞台の道に進むことを決意したそうで、
同年、「劇団四季」がミュージカル「イエス・キリスト=スーパースター」(後の「ジーザス・クライスト=スーパースター」)の出演者を募集しているのを見て、オーディションを受けると、見事、ヘロデ王役に起用され、舞台デビュー。
手応えは十分だったそうで、
市村さんは、
不思議な役柄で、強烈なコスチュームを着て登場する。お客さんにはそれなりにインパクトを与えたと思います。
と、語っています。
(実は、市村さんは、オーディションでは、受かりやすいよう、主役級の役ではなく、第1次では「群衆」、第2次では「使徒」を希望していたそうですが、第5次で、キリストの敵役ヘロデ王役に起用されたのだそうです)
「イエス・キリスト=スーパースター」より。
「劇団四季」に入団
そして、翌年の1974年、「劇団四季」では、ミュージカル「ウェストサイド物語」を上演することになったそうですが、この作品は「劇団四季」内部の人間だけでやる方針だったそうで、この時、まだ「劇団四季」の団員ではなかった市村さんは、劇団員にならないかと誘われ、「劇団四季」に入団。
「ウェストサイド物語」では、非行少年グループ「ジェット団」の一番下っ端、ベイビー・ジョン役に起用されたそうですが、
動きには、回るにしてもみな意味がある
などと、教えられ、とにかくシゴかれたそうで、
市村さんは、
この時に得たものは、その後の財産になっています。脇役でも「あの面白いやつ誰?」と顔と名前を覚えてもらえるよう張り切ってやりました。
と、語っています。
(「ウェストサイド物語」は、とにかく名ダンスナンバーが多かったそうです)
舞台「エクウス」の主演でたちまち脚光を浴びる
すると、そんな前向きな態度が評価されてか、1975年秋には、舞台「エクウス」で、6頭もの馬の目を潰すという怪奇な事件を引き起こす、精神に問題を抱えた、主人公の17歳の少年・アラン役に抜擢され、
西武劇場の初日のカーテンコールでは、耳が痛くなるような割れんばかりの拍手で会場が包まれ、市村さんは、たちまち脚光浴びたのでした。
舞台「エクウス」より。
(この舞台「エクウス」は、市村さんにとって初めてのストレートプレー(セリフ劇)で、その後の俳優人生を大きく変える作品となったそうです)
浅利慶太から厳しい演技指導を受けていた
ちなみに、この「エクウス」の稽古では、「劇団四季」の主宰者・浅利慶太さんにつきっきりで指導してもらったそうで、稽古場では厳しいダメ出しの連続だったそうですが、様々な状況を設定した稽古をしてもらったそうで、
舞台の最後では、全裸になるシーンがあるのですが、浅利さんに、相手役の女優さんとともに、サイパンの無人島につれて行かれ、(羞恥心をとるために)「裸になって泳いでこい」と言われるなど、徹底的な演技指導で鍛えられたのだそうです。
「市村正親は昔「劇団四季」で浅利慶太を激怒させ平謝りしていた!」に続く