市村正親さんとの結婚を年齢差を理由にお父さんに反対されていた、篠原涼子(しのはら りょうこ)さんですが、ついに、お父さんの説得に成功します。今回は、結婚に際し、お父さんが出したという二つの条件や、お二人の会見の様子などをご紹介します。
「篠原涼子は市村正親との結婚を父親に反対されていた!」からの続き
篠原涼子の父親が結婚に際して出した条件とは?
当初は、市村正親さんとの結婚をお父さんに反対されるも、「私には私の人生がある」と、強く訴えると、お父さんから、二つの条件を出され、結婚を認めてもらったという篠原さんですが、
その条件とは、
- 結婚後に早く子どもを作る
- (市村正親さんが)娘と最後まで添い遂げる
というものだったそうで、
お父さんが反対していたのは、自身の都合ではなく、いかに篠原さんの幸せを願っていたかが伺えます。
結婚報告の記者会見は個別も幸せいっぱい
こうして、お二人は、晴れて、婚姻届を都内に提出すると、当日(2005年12月8日)の夕方には、それぞれ個別に記者会見を行い、
篠原さんが、
魅力的な人なら年齢なんて・・・
明るくて、思いやりがあって、自分にないところをいっぱい持っていて
と、市村さんについて語り、
プロポーズの言葉についても、
言えないです。言っちゃうともったいないから
と、のろけると、
市村さんも、
涼子は神様からの贈り物です。だから結婚しても彼女の自由にさせてあげたい
と、語っています。
公私ともに順調
そして、結婚後は、お父さんとの約束や、市村さんのお母さんの「早く孫の顔が見たい」という期待に応えるように、2008年5月に男の子が誕生すると、
夫である市村さんは、それまでの、仕事が終わると飲み歩いていた生活やタバコをきっぱりやめ、積極的に育児に携わるなど、イクメンぶりを発揮したそうですが、
市村さんが、バラエティ番組で、篠原さんや息子さんとのエピソードをしばしば披露したことで、市村さんの好感度が急上昇すると同時に、篠原さんの人気も爆上げとなったのでした。
父親のために結婚パーティーを開催していた
そんな篠原さんと市村さんは、入籍当初、挙式・披露宴は行っていなかったのですが、結婚から5年経った、2010年8月、市村さんの提案により、篠原さんの故郷・群馬県太田市にある、チャペル付き結婚式場「ロイヤルチェスター太田」を貸し切り、双方の親族を招いて、食事会を開催されています。
実は、篠原さんのお父さんは、糖尿病を患っているほか、篠原さんと市村さんの入籍7ヶ月前には、11時間にも及ぶ心臓の手術を受けるなど、体調はずっと思わしくなかったそうで、この頃には、持病の糖尿病が悪化し、もう、先が長くないという状態だったことから、闘病中のお父さんのために、篠原さんのウェディングドレス姿を見せようと、お二人が企画したものだったそうで、
結婚式場の関係者は、
県内の病院に入院していたお父さまのために、ソファなど体を休められるスペースを確保。地場の新鮮な野菜をふんだんに取り入れて、体調にあわせた特別メニューで対応させていただいた
と、明かしています。
父親が結婚パーティーの3日後に他界
すると、お父さんは、篠原さんのウェディングドレス姿に、感激のあまり涙ぐんでいたそうですが、娘が幸せになったのを見届け、安心したのか、この食事会から3日後に他界されたそうで、
某芸能ライターは、
(結婚に強く反対していたお父さんですが)それでも2008年に孫が生まれると、それはもう可愛がり、市村さんへの信頼も厚くなっていたそう。
そして2010年に5年越しの披露宴を開くと、その3日後に勝雄さん(お父さん)は亡くなったのです。花嫁姿を見届けて、涼子ちゃんの幸せを願って眠りについたのでしょう。
と、語っています。
「篠原涼子は闘病中の市村正親を献身的に看病していた!」に続く