斎藤耕一監督の勧めで、歌手から俳優に転身すると、1975年には、「サンダカン八番娼館 望郷」「青春の門」で、たちまち脚光を浴びた、田中健(たなか けん)さん。そんな田中さんの快進撃は、この後も続きます。

「田中健が若い頃は映画「青春の門」で脚光を浴びていた!」からの続き

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テレビドラマ「俺たちの旅」でブレイク

1975年、映画「青春の門」で一躍脚光を浴びた田中さんですが、

同年には、中村雅俊さん、秋野太作さんとともに起用された、テレビドラマ「俺たちの旅」が高視聴率を記録。田中さんも、人生の進路と恋をめぐって揺れる、真面目で堅実な大学生・オメダ役が当たり役となり、一躍アイドル的な人気を博します。


「俺たちの旅」より。(左から)中村雅俊さん、秋野太作さん、田中さん。

青春スターとしての地位を確立

すると、その後も、ナイーヴそうでいながら男気を秘めているというイメージが好感を呼んで、青春映画に引っ張りだことなり、

「鴎よ、きらめく海を見たか めぐり逢い」(1975)
「青い山脈」(1975)
「挽歌」(1976)
「遺書 白い少女」(1976)
「憧憬 あこがれ」(1977)

と、次々と出演すると、

「青春の門」「鴎よ、きらめく海を見たか めぐり逢い」の演技で「製作者協会新人賞」を獲得し、瞬く間に、青春スターの座に駆け上ったのでした。


「鴎よ、きらめく海を見たか・めぐり逢い」より。高橋洋子さんと田中さん。

30代は舞台を中心に活動

こうして、あれよあれよとスターの座に駆け上り、その後もしばらくは順調だった田中さんですが、20代は勢いだけでよかった演技が、30代になると深みも必要となり、演技の基礎がなかった田中さんは、うまく表現することができなかったそうで、

1983年には、映画「真夜中のボクサー」などで主演を務めるも、青春スターのイメージからなかなか抜け出すことができずにパッとせず、年を重ねるごとに不安が増していったことから、一念発起。演技力を鍛え直そうと、常に一発勝負である舞台に挑戦することにしたのだそうです。


「真夜中のボクサー」より。(クリックでyoutube)

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映画「望郷」で数々の俳優賞を受賞

とはいえ、舞台では、失敗できないというプレッシャーとの戦いで、逃げ出したいと思うことが何度もあったそうですが、ここで逃げたらもっとひどいことになる、との思いから踏ん張ることができたそうで、

そんな舞台での活動が生かされ、1993年、42歳の時には、斎藤耕一監督作品「望郷」で、借金まみれになりながらも豪快な生き方を貫く父親役を演じると、「報知映画賞主演男優賞」「日本映画批評家大賞主演男優賞」「毎日映画コンクール男優助演賞」「日刊スポーツ映画大賞助演男優賞」と、栄えある賞を次々と受賞し、新境地を開拓したのでした。

(こうして、俳優として大きく飛躍した田中さんは、以降、2時間ドラマのミステリーから時代劇まで、様々なジャンルの作品に数多く出演するようになり、現在まで安定した人気を誇っています)

「田中健のデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く

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