甲斐甲斐しくケガの手当をしてもらったことがきっかけで、一気に燃え上がり、四角佳子さんと交際、結婚に至った、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、いい時は長くは続かなかったようです。
「吉田拓郎の「結婚しようよ」は最初の妻・四角佳子のための曲だった!」からの続き
些細なことでケンカを繰り返すように
1972年6月、軽井沢の聖パウロ教会で結婚式を挙げた吉田さんと四角佳子さんは、その後、東京・高円寺の2DKのアパートで新婚生活をスタートさせるのですが・・・
(この頃、吉田さんは、人気が出てきたばかりの頃だったため、まだ収入は少なく、贅沢な暮らしはできなかったそうです)
- 亭主関白の吉田さんに、もともと気が強い四角さんが反発
- 普段は家で過ごしたい吉田さんに対し、四角さんは外出好き
- 食事の嗜好が全然違う
と、何から何まで合うところがなく、二人は些細なことでケンカを繰り返すようになったそうで、
結婚の翌年1973年には、ついに、四角さんが大阪(実家)に帰ってしまい、結婚式で仲人を務めた、「六文銭」のリーダーの小室等さんが、吉田さんの代わりに迎えに行ったこともあったそうです。
(実は、吉田さんは、結婚前から、四角さんとの相性の違和感を多少感じつつ、四角さんの女性としての魅力が勝り、結婚したそうですが、一緒に暮らすうちに、性格の不一致を強く感じるようになり、結婚から半年で離婚を考えるようになったといいます)
吉田拓郎の誤逮捕も夫婦関係に大きな影響を与えていた
そんな中、同年5月23日には、吉田さんが、突然、公演先の金沢で婦女暴行容疑で逮捕され、8日間勾留された後、被害を訴えた女子大生の嘘であったことが判明して不起訴となり、6月2日に釈放されているのですが、
6月3日に開催された神田共立講堂でのライブには、小室等さん、南こうせつさん、泉谷しげるさんら友人のミュージシャンたちと共に、妻の四角さんも駆けつけ、一緒に「春の風が吹いていたら」をデュエットしたそうで、
吉田さんは、ライブ中のMCで、
僕のこと書いてある週刊誌をいっぱい読んでね、凄いことが書いてあったな、暴力団みたいなことが書いてあった、拓郎、部屋の中で殴る蹴るの乱暴を働く。
おケイ(四角さん)が手紙をくれたんですよ、アントニオ猪木がタイガー・ジェットシンに負けました、残念でしたって、流石に出来た女房、すごく幸せですわ。
と、語っていたのですが・・・
吉田さんは、この誤逮捕によって、マスコミから激しいバッシングに遭い、ツアーのキャンセル、楽曲の放送禁止、ほかの歌手への提供曲も放送禁止、出演CMの自粛と、芸能活動停止に追い込まれており、夫婦関係にも大きな影響があったと言われています。
子供が誕生するも夫婦仲は冷え込むばかりだった
それでも、同年、四角さんの妊娠が分かると、もともと子供が欲しかった吉田さんは、子供が生まれたらお互い変わってうまくいくようになるのではと、一縷(いちる)の望みを託していたそうですが、
一時的には、長女が誕生し、お互い自制するようになるも、やはり、子供の誕生だけでは根本解決にはならなかったようです。
ちなみに、この頃、吉田さんは、超売れっ子になって収入が大幅に増えており(長者番付に名を連ねるまでに)、渋谷区恵比寿にある高級マンションに移り住むなど、何不自由ない生活を送るようになるのですが、
二人は心の隙間を埋めるかのように浪費を重ねるだけで、夫婦仲は冷え込んでいくばかりだったそうです。