1961年の春~夏頃から頭痛を訴えると、その後、頭痛は日増しに激しくなり、激しい引きつけを起こして一時的に目が見えなくなるほか、精神不安定となって自分で自分を痛めつけるような錯乱状態に陥るようになったという、スチュアート・サトクリフ(Stuart Sutcliffe)さんですが、ついに、帰らぬ人となってしまいます。
「スチュアート・サトクリフは死の直前激しい頭痛に苦しめられていた!」からの続き
21歳で死去
原因不明の激しい頭痛に苦しむほか、そのいらだちを婚約者のアストリッドさんやアストリッドさんのお母さんにぶつけてしまうことで自己嫌悪に陥り、心身ともに参っていたというスチュアートさんですが、
1962年4月10日には、部屋の中で倒れているのを、アストリッドさんのお母さんに発見されます。
お母さんは、慌てて救急車を呼び、すぐに写真スタジオで働いていた娘のアストリッドさんに電話をしたそうで、これを聞いたアストリッドさんは、急いで帰宅し、スチュアートさんと一緒に救急車に乗り込んだそうですが・・・
スチュアートさんは、すでに意識がなかったそうで、病院に向かう途中、アストリッドさんの腕の中で、21歳という若さで、息を引き取ったのだそうです。
(救急車の中で、スチュアートさんが突然起き上がってアストリッドさんを抱きしめ、そのまま仰向けに倒れて息を引き取ったという説も)
死因は誰かに殴られたことによる「頭蓋骨陥没」?
そんなスチュアートさんの死因は、「右脳室の出血による脳性麻痺」とされたそうですが、その後の詳しい調べでは、「小さな脳腫瘍」があったほか「頭蓋骨陥没による脳出血」があったことが分かったそうです。
(ただ、不明な点が多く、はっきりとした死因は分かっていません)
そして、この「頭蓋骨陥没」については複数の説があるといいます。
まず、一つ目は、スチュアートさんが1961年2月に英リヴァプールに一時帰国した際、「レイサムホール」での演奏終了後、誰かに頭を殴られ、頭部に外傷を受けたそうですが、この時に頭蓋骨が陥没したという説。
(当時ビートルズのマネージャーだったアラン・ウィリアムズさんが、ジョン・レノンさんとピート・ベストさんが助けに行ったと語っています)
ただ、この時、スチュアートさんは、病院に行くことを拒否したそうで、本当に頭蓋骨が陥没していたかは不明です。
(スチュアートさんの生涯を描いた映画「Back Beat」の冒頭でも、リヴァプールの居酒屋で荒くれ者の漁師たちに暴行された過去があることをほのめかすような描写があります)
死因はジョン・レノンの暴行による「頭蓋骨陥没」?
二つ目は、スチュアートさんとジョン・レノンさんが同性愛の関係にあり、アストリッドさんに惹かれていくスチュアートさんに、ジョンさんが激しく嫉妬し、スチュアートさんに何度も暴行を加えていたという話。
というのも、スチュアートさんの妹・ポーラインさんが、「スチュアートとジョンがケンカをして、ジョンがスチュアートの頭を蹴ったのが原因」と語っていたということですが、
ポーラインさんは、2003年、BBCのインタビューでこの噂を否定。そんなことは一言も言っていないのに、噂が流れたことに、とてもショックを受けていると語っています。
死因は「脳腫瘍」で苦しみ頭をどこかにぶつけたことによる「頭蓋骨陥没」?
ちなみに、一つ目の説だとした場合、1961年2月に頭蓋骨を陥没骨折する重傷を負ったとして、スチュアートさんは春~夏頃に体調不良を訴えており、その間1ヶ月以上それを放置して生活できるとは考えにくいと思われますが、
「頭蓋骨陥没骨折」はすぐに症状が出るとは限らず、外傷を負って数カ月後に症状が出ることがあるそうで、もしかすると、スチュアートさんの死因は、この時、殴られたことによるものなのかもしれません。
ただ、この「頭蓋骨陥没骨折」は、激しい頭痛に苦しむあまり、暴れまわったスチュアートさんが、どこかに頭をぶつけたのでは、という説もあるようで、スチュアートさんの死因は「脳腫瘍」ではないかとも考えられています。
「スチュアート・サトクリフの死後「ビートルズ」のメンバーは?」に続く