少女時代は、お母さんが料亭の切り盛りで忙しかったことから、乳母に育てられるも、20歳になると、突然、お母さんが料亭を畳み、つきっきりで管理されるようになったという、安藤和津(あんどう かず)さんですが、今度は、突然、お母さんからイギリス留学を命じられたといいます。
「安藤和津は少女時代イジメられるも母親の言葉で立ち直っていた!」からの続き
母親から突然イギリス留学を命じられる
お父さんが亡くなった後は、「お父さんからの宝物」と言ってさらに大事にされ、20歳の頃には、突然、料亭を畳んで、花嫁修業に付き合うと言い、安藤さんにベッタリとなったというお母さんですが、
そんなある日のこと、今度は、
パパの遺言だから、あなたはイギリスに留学しなさい!
と、突然、イギリス留学を命じられたそうです。
その頃、安藤さんは、彼氏もいて毎日楽しく過ごしていたこともあり、留学にはまったく興味がなかったそうですが、お母さんは、そんなことはお構いなしに、勝手に、通う学校やホームステイ先も決めてしまったそうで、安藤さんは、追い出されるように、イギリスに留学させられてしまったのだそうです。
イギリスでの暮らしは窮屈だった
とはいえ、実際、日本を離れると、お母さんの束縛から解放され、とても晴れやかな気分になり、自由を手に入れたことを実感したそうです。
ただ、その時、イギリスは冬だったこともあり、毎日寒くて仕方なく、そのうえ、食べ物も口に合わず、いつもお腹をすかせていたそうです。
また、ホームステイ先で用意されていた安藤さんの部屋は、小さな子供部屋だったことから(日本人は小柄なので、子供部屋で十分だと思われていたようで)、腕を広げると、両手のひらが壁につくほどの狭さだったうえ、ベッドの大きさも頭から足先までがギリギリ収まるほどの大きさしかなく、何から何まで窮屈な暮らしだったのだそうです。
イギリスで初めて生活の術を学ぶ
そこで、安藤さんは、このホームステイ先をすぐに出て、現地で仲良くなった友だち(日本人、イギリス人、イタリア人の3人)と大きなアパートを借りてルームシェアをし、みんなでお金を出し合って毎日の生活をやりくりしたそうですが、
無計画にお金を使ってしまうと、家賃が払えなくなってしまったり、食費が足りなくなったりして、暮らしていけないことがよく分かったそうで、そこで初めて生活の術(すべ)を学んだのだそうです。
(安藤さんは、イギリスに行くまで、洗濯、掃除、料理は、全てお手伝いさんがやってくれていたため、ほとんどしたことがなかったそうですが、必要に迫られてするようになり、特に、料理はずいぶん上達したそうです)
帰国するも母親からは就職も禁止されていた
こうして、不自由ながらもイギリス生活を満喫していた安藤さんですが、留学して2年半ほど経った頃、お母さんが体調を崩したことから帰国。
再び、港区のマンションでお母さんとの暮らしが始まったそうですが、やはり、母さんからの締め付けは留学前と変わらず厳しく、
就職なんかしちゃ、いい奥さんになれない!
と、言われ、働くことさえ許してもらえなかったのだそうです。