1975年、夫・宇崎竜童さんのバンド「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」に提供した「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で作詞家デビューして以来、1000曲以上の作詞を手掛け、数多くのヒットを生み出してきた、阿木燿子(あき ようこ)さん。今回は、そんな阿木さんの知られざる生い立ちについてご紹介します。

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年齢は?出身は?学歴は?本名は?

阿木さんは、1945年5月1日生まれ、
神奈川県横浜市鶴見区の出身(長野県長野市生まれ)、

本名は、
木村広子(旧姓は福田)

学歴は、
横浜市立生麦小学校
⇒私立挿真女学校中学部
⇒私立挿真女学校高等学部
⇒明治大学文学部史学地理学科中退(2008年に特別卒業認定が授与されています)

趣味は、縫い物、散歩、ベリーダンス、

特技は、料理だそうです。

幼い頃から物語を作るのが好きだった

阿木さんは、長野県長野市で町工場を経営する両親のもと、3人兄弟(兄と妹)の長女として誕生すると、その後、神奈川県横浜市鶴見区に引っ越したそうですが、

子供の頃から物語を作ることが好きで、小学校1年生の時には、近所の子供たちを集めてミニ劇団を作り、台本と主題歌を書いたこともあったそうです。

(ただ、この時はまだ、将来、作詞家になろうと思ったことはなかったそうです)

思春期の頃には対人恐怖症になっていた

しかし、思春期になると、人前で言葉を発することが一切できなくなり、「おはよう」の挨拶ほか、クラスメイト同士の雑談にも加わることができなくなるなど、対人恐怖症となってしまったそうで、

そのため、どうしても家にこもってしまい、子供の頃から好きだった空想をしたり、頭の中で物語を作ることに、ひたすら専念したのだそうです。

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中学高校はお嬢様学校の捜真女学校に進学

そんな阿木さんは、神奈川県横浜市にある中高一貫の私立女子学校、捜真女学校中学部・高等学部に進学しているのですが、地元でも有名なお嬢様学校で、規律が非常に厳しく息が詰まっていたといいます。

(ちなみに、捜真女学校の卒業生には、小説家・エッセイストの中村うさぎさん、小説家の角田光代さん、ナベプロ創業者の渡邊美佐さん、アナウンサーの三雲孝江さん、声優の坂本千夏さん、宝塚歌劇団月組男役の空城ゆうさんなどがいます)

「阿木燿子と宇崎竜童の馴れ初めは?」に続く

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