独立系の映画で、政治的、社会的なメッセージ性の強い作品を次々と発表し、高く評価されるも、低予算の映画作りに疲れ切り、独立プロダクション「創造社」を解散した、大島渚(おおしま なぎさ)さんは、その後は、映画製作資金を集めるため、テレビ出演するようになっていたのですが、そんな中、製作の機会を海外に求めると、フランスとの合作「愛のコリーダ」が大ヒットします。

「大島渚が若い頃は「絞死刑」「少年」「儀式」等で高い評価を受けていた!」からの続き

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「愛のコリーダ」で国際的な評価を確固たるものに

独立系の映画では輝かしい成果を収めるも、やがて、低予算での映画作りに疲弊し、1973年7月に「創造社」を解散すると、テレビの情報番組に出演して映画製作の資金を稼いでいた大島さんですが、

1975年に新たに「大島渚プロダクション」を設立し、1976年、(国際的な評価も受けていたことから)製作の機会を海外に求め、フランスのアルゴス・フィルムとの合作で、昭和初期に起きた「阿部定事件」を題材に、男女の愛欲の極限を描いた作品「愛のコリーダ」を発表すると、

日本初のハードコアポルノとして大きな反響を呼び、同年には、カンヌ国際映画祭でも上演されて、一大センセーショナルを巻き起こし、大島さんは、名監督として、国際的な評価を確固たるものにしたのでした。


「愛のコリーダ」より。松田英子さんと藤竜也さん。

(日本の検閲を逃れるため、日本で撮影されたフィルムを未編集のままフランスに送って編集し、その後、完成したものを日本に逆輸入し、大幅な修正が施されて上映されたそうです)

「愛のコリーダ」のあらすじ

ちなみに、この「愛のコリーダ」のストーリー、

料亭の女中だった阿部定は店の主人・吉蔵に心を惹かれると、やがて、二人は情事を重ねるようになるのですが、その情事が吉蔵の妻の知るところとなり、二人は駆け落ちを決行。

快楽に溺れる日々を重ねる中、やがて定は吉蔵を永遠に自分だけのものにしておきたいと思うようになり、ついには、吉蔵の首を絞めて殺害すると、さらには、吉蔵の局部を切り取って持ち去ってしまうのですが・・・

「愛のコリーダ」のキャスティングは難航を極めていた

この「愛のコリーダ」では、社会の底辺で疎外された人々の心理を描くため、過激な性描写を試みたことから(日本初の本番映画)、検閲の問題で日本では製作できず、秘密裏で製作を進めなければならなかったうえ、フランスのプロデューサーからは、

男性器の形もかっこいい人を

と、写真を求められたそうで、

そんな映画に出演してくれる俳優はおらず、キャスティングは難航を極めたそうです。

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助監督だった崔洋一が藤竜也を推薦していた

そんな中、当時、助監督として参加していた現・映画監督の崔洋一(さい よういち)さんが、製作の初期段階から、テレビドラマ「新宿警察」以来、交流があったという藤竜也さんを主演候補に推薦していたそうですが、大島さんは決めかねていたそうです。

しかし、崔さんによると、帝国ホテルでの製作発表会見が行われる前日(7~8時間前)になって、突然、大島さんから、

崔、(藤さんと)連絡取れるか?

と、言われたそうで、

崔さんが、赤坂の喫茶店で藤さんと会うよう手配したそうですが・・・

大島さんと藤さんは、ほとんど何もしゃべらず、

大島さんは、胸元から脚本を取り出して、

阿部定事件を題材にした愛の物語です。ホン、読んでください

と、藤さんに手渡すと、

あとはよろしく

と言って、同席していた崔さんを残し、10分足らずで出て行ってしまったのだそうです。

「大島渚の「愛のコリーダ」裁判での「わいせつなぜ悪い」が大きな話題に!」に続く

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