敗戦色が濃厚となった1945年、10歳の時、軍から特攻隊の基地に慰問するよう要請され、慰問団に加わったという、中村メイコ(なかむら めいこ)さんですが、周りが皆もんぺ姿の中、当時、親しくしてもらっていたという淡谷のり子さんの影響で、一人だけ、女の子らしいワンピースを着ていたそうです。

「中村メイコは子役時代に特攻隊の慰問を要請されていた!」からの続き

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特攻隊の慰問では一人だけワンピース姿だった

前線の特攻隊の基地に行くと、きちんとした建物はなく、テント張りの兵舎が並んでいただけだったそうで、その真ん中の広場に、みかん箱を二段に重ねたステージで、中村さんたちは、歌を歌ったり、お芝居をしたそうですが、

(中村さんは、戦前、作曲家の服部良一さんに師事し、歌も習っていたそうで、「メイコの電話」「小さな恋をしちゃったの」など、服部さんが作曲した歌を歌っていたそうです)

若い女性歌手たちが皆もんぺ姿の中、中村さんだけ、かわいらしいビロードのワンピースに、つけまつ毛をするなど、女の子らしい格好だったそうで、兵隊さんはとても喜んでくれ、中村さんは、もんぺにしなくて、本当に良かったと思ったそうです。

(特攻隊の青年というのは、学徒出陣で召集されてきた、いわば昨日まで大学生だった人たちで、ハイネやリルケの詩集を持っているような知的な人が多かったそうです)

ワンピース姿は淡谷のり子の影響だった

というのも、親しくしてもらっていたという、ブルース歌手の淡谷のり子さんも、慰問団として戦地に派遣されていたそうですが、

若い女性歌手たちが皆もんぺ姿の中、「そんなものは着れません」と断固拒否し、華やかなドレス姿で禁止されていたブルースを歌っていたそうで、中村さんもそんな淡谷さんに影響され、もんぺではなく女の子らしい格好で慰問活動をしたのだそうです。

(淡谷さんは、慰問に出かける際、防空壕(ごう)に、大事なものとして、シャネルの5番の香水瓶を3、4本入れ、妹さんに「留守のあいだに空襲になったら、防空壕から持ち出して逃げてね」とも言っていたそうです)

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淡谷のり子の影響でつけまつ毛をするように

ちなみに、中村さんは、普段、あまりメイクにはこだわらないそうですが、

淡谷さんから、

(独特の東北訛りで)メイコちゃん、芸能人はまず、眼のありかを教エねば

と、言われ、

以来、仕事の時は、必ず、つけまつ毛をしているのだそうです。

(アイラインを引いて、付けまつ毛をつけている淡谷さんは本当に素敵だったそうです) 

「中村メイコは子役時代に特攻隊の慰問で隊員たちを感涙させていた!」に続く

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