放送作家として、引っ張りだことなった1957年、24歳の時、上司の三木鶏郎さんに誘われ、ディズニー映画「ダンボ」「わんわん物語」に携わっていたという、永六輔(えい ろくすけ)さんは、日本人声優の出演交渉もしていたそうですが、その中には、国会議員の浅沼稲次郎氏もいたといいます。
「永六輔は若い頃ディズニー映画の日本語版制作に携わっていた!」からの続き
ディズニー映画の声優の出演交渉をしていた
三木鶏郎さんに誘われ、ディズニー映画の日本語版「ダンボ」に携わった永さんは、その後、同じくディズニー映画の「わんわん物語」にも携わったそうですが、ディズニー側からは、総指揮者としてジョン・カッティングさんという人が来日したそうで、
(ジョンさんは、いつもきちんと背広を着て、蝶ネクタイ姿という、恰幅の良い中年の白人男性だったそうです)
ジョンさんは、日本人の声優をキャスティングするため、ラジオに聞き入り、これと思う声の持ち主がいると、
永さんに、
出演交渉して来て欲しい
と、言ったそうで、
永さんは、言われた通り、数多くの人達と出演交渉したそうです。
国会議員の浅沼稲次郎に「わんわん物語」の声優の出演交渉していた
その中でも、特に大変だったのが、 国会議員の浅沼稲次郎氏(後の社会党の委員長)だったそうで、
(ディズニー映画「わんわん物語」のブルドッグの役だったのですが、なかなか、ジョンさんが納得する声の持ち主が現れず、キャスティングが難航していたそうで、そんな時、浅沼氏の声が国会中継のラジオから流れたのを、ジョンさんが聞いて気に入ったのだそうです)
確かに、浅沼氏は巨体で、声が大きく迫力もあったのですが、
永さんが、
無理ですよ。政治家だから声優はやらないと思います
と、言っても、
ジョンさんからは、
ギャラはいくらでも払う。 10日ほど時間をくださいと頼んでくれ
と、強い口調で命令されたのだそうです。
浅沼稲次郎からは断られるも・・・
こうして、永さんは、仕方なく、議員会館に足を運び、当時、社会党の書記長だった浅沼氏に直訴したそうですが、
やはり、浅沼氏からは、
無理だよ。この忙しいときに、10日も拘束されちゃ・・・
と、断られてしまったのだそうです。
浅沼稲次郎はラジオ番組「わんわん物語」のブルドッグ役を熱演していた
それでも、すごすごと帰るわけにはいかない永さんが粘ると、
最終的には、浅沼氏は、
次に機会があったら、そのときは引き受ける
と、約束してくれたそうで、
実際、ディズニー映画「わんわん物語」が公開された後、永さんと三木さんがこの作品をラジオ番組にした際には、浅沼氏は、ちゃんとこの口約束を守って、ブルドッグ役を引き受け、熱演してくれたそうで、ジョンさんは、大喜びだったそうです。
ただ、それから、わずか4年後の1960年、浅沼氏は、日比谷公会堂の壇上で演説中に、17歳の右翼の少年に刺されて死去しており、
永さんは、著書「永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」」で、
豪快な義理固い政治家でした。本当にショックだった。
と、語っています。