1950年代、江利チエミさん、美空ひばりさんととともに、「三人娘」と呼ばれるなど、昭和を代表する人気少女歌手となるも、人気絶頂の1959年、22歳の時には、母親の8500万円(現在の貨幣価値で25億円)もの借金を背負うことになったという、雪村いづみ(ゆきむら いづみ)さんですが、一体、何があったのでしょうか。
「雪村いづみが若い頃はアメリカでも「ホリデイインジャパン」で人気を博していた!」からの続き
母親が主治医と再婚し勝手に豪邸・アパート・病院を次々と建設していた
実は、雪村さんのお母さんは、結核で入院していたそうで、その際、主治医と恋に落ち、1955年に再婚したそうですが、
その後、娘である雪村さんが美空ひばりさんと江利チエミさんに対して肩身の狭い思いをしないようにと、雪村さんのお金で、勝手に、東京世田谷区の尾山台に、建坪330㎡の豪邸とアパートを新築し、さらには、ご主人が医院長になるための病院まで建設したのだそうです。
(ちょうどこの頃は、高度経済成長の幕開けとなる大型好景気「神武景気」の真っ最中だったそうです)
雪村いづみは母親の莫大な借金を一人で背負っていた
しかし、1957年頃にはバブルが崩壊し、予定していた銀行融資が白紙になったことから、お母さんは、高利貸しに手を出してしまったそうで、
1959年には、借金が8500万円にまで膨れ上がり、豪邸、アパートすべて売却するも完済には程遠く、この借金はすべて、弱冠22歳の雪村さんにのしかかったのでした。
(当時高卒の初任給が5000円くらいなので、現在の貨幣価値に換算すると約25億円)
母親の借金8500万円(現在の貨幣価値で約25億円)を20年で完済していた
こうして、雪村さんは、この莫大な借金を返済するため、短期間で膨大な映画の出演をこなし、翌年の1960年には、アメリカからオファーがあった「ホリデイ・イン・ジャパン」という公演のため渡米すると、幸い、この公演は、予定よりも、公演期間を延長するほどの人気を博し、多くの借金を返済できたそうですが、それでも、完済までには20年の歳月を費やしたそうで、
雪村さんは、
母が入院した先の病院の先生と恋愛をしちゃって、ものすごい借金をして病院まで建てちゃった。 その借金を返すのに20年かかりました。だから、55年(2008年時点)も歌ってますけど、お金は全然ないんです。
でも、親孝行だと思ったし、そんな状況でも、前向きにベストを尽くして頑張ることが、元気の源でもあり、健康の源にもなったんじゃないかしら。
当時の8,500万円だから。いまだったらもっとすごい額になっちゃうわね。母がお医者さんにほれちゃって、全部私のお金で、病院を建てちゃったの。
そのあとは、とにかくコマーシャルを限りなくやって返したの。最初のコマーシャルはグンゼのナイロン靴下だったってことはよく覚えてる。返すまでに20年くらいかかったんじゃないかしら。でも、あの借金のおかげで今の私があると思っているの
母を憎んだことはありません。それをバネにしたから、歌いつづけられたんだもの
と、語っています。
「雪村いづみのデビューからの出演ドラマ映画を画像で!」に続く