1966年、「ビートルズ」の初来日公演で前座を務めた、高木ブー(たかぎ ぶー)さんたち「ザ・ドリフターズ」は、その後、主演のバラエティ番組「8時だョ!全員集合」が放送スタートすると、爆発的な人気を博します。
「高木ブーは昔ビートルズ初来日公演の前座をドリフターズで務めていた!」からの続き
「8時だョ!全員集合」が爆発的な大ヒット
日本中が注目する「ビートルズ」の初来日公演で前座を務めたことで、広くその名を知られるようになった「ザ・ドリフターズ」ですが、
いかりや長介さんが、テレビ時代が到来することを予測し、音楽性よりもヴィジュアル面でのインパクトやお笑いを重視したため、「ザ・ドリフターズ」は、次第に、コメディ色の強いバンドとして活動するようになっていったそうで、
1969年、「ザ・ドリフターズ」主演のバラエティ番組「8時だョ!全員集合」がスタートすると、初めこそ、視聴率は伸び悩んだものの、いかりやさんの5人の個性を引き出した巧みな演出が功を奏し、やがて「8時だョ!全員集合」は、平均視聴率が30%を超える超人気番組へと成長します。
「8時だョ!全員集合」のオープニングより。(左から)いかりや長介さん、加藤茶さん、仲本工事さん、高木さん、志村けんさん。
(1974年3月には、荒井注さんが脱退し、同年4月、荒井さんの代わりに志村けんさんが加入しています)
「8時だョ!全員集合」時代は超ハードスケジュールだった
ただ、その裏では、土曜の夜の生放送に向けて、木曜日には15時から24時まで翌週土曜日のコントを作り、金曜日にはスタジオで本番の立ち稽古をしていたほか、日曜日から水曜日は地方巡業と、超ハードスケジュールをこなしていたそうで、
さらに、地方での収録となると、当日は午前10時に現場に入るとすぐに稽古が始まり、場当たり(本番と同じような状況で確認する稽古)、カメリハ、ランスルー(通し)、本番と、4回もやらなければならなかったそうで、中でも、木曜日のリハーサルは、異様なものだったそうです。
「8時だョ!全員集合」のコントは自分たちで作っていた
というのも、木曜日は脚本家が来たそうですが、たいていはいかりやさんがその内容に納得できずに、使い物にならなかったそうで、みんなで考えようということになり、1時間、2時間と、考え込んでいたそうですが、物音一つたてず、シーンと静まり返り、タバコの煙だけがモクモクと出ている状態だったのだそうです。
(高木さんはというと、何も考えたことはなかったそうですが(笑))
そんな中、しばらくして、いかりやさんが、「集まれ」と号令をかけ、
これじゃしょうがないから、ここんところはどうかな
という風に、みんなに意見を求め、
(いかりやさんは、独断で決めるのではなく、それぞれのパートの人に意見を言わせるようにしていたそうです)
こんなのどうですかねえ
と言うと、そこから立ち稽古が始まり、
いかりやさんが、それを見て、
それ、いいじゃん
と、いうような感じで、だんだん、形になっていったのだそうです。
「高木ブーはドリフ時代いかりや長介からの怒られ役で愚痴られ役だった!」に続く