1969年、「ビリー・バンバン」のコンサートで、サクラとして笑いをとっているところを、ニッポン放送のディレクター・上野修さんにスカウトされ、ラジオ番組「東芝ワイドワイドサンデー」のレポーターに起用された、せんだみつおさんは、ほどなくして、トークラジオ番組「ワゴンでデート」のメイン司会者に抜擢されたといいます。

「せんだみつおは昔「ワイドワイドサンデー」のレポーターに抜擢されていた!」からの続き

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「東芝ワイドワイドサンデー」ではレポートがうまくできなかった

「ビリー・バンバン」のコンサートでサクラ役をやって笑いをとっていたところを、ニッポン放送のディレクター・上野修さんに見初められ、ラジオ番組「東芝ワイドワイドサンデー」のレポーターに起用されたというせんださんですが、

(ラジオカーに乗って都内を回り、いろいろな人にインタビューするという仕事だったそうです)

当時は無名だったため、マイクを持っていくと、みんな逃げてしまい、

(このことが、この業界の辛さが分かった最初の出来事だったそうです)

いま、女の子いました。 ちょっと待ってください。インタビューします、あっ、逃げられちゃった

と、レポートしてスタジオに帰ると、

上野さんに、

ラジオっていうのは、音だけなんだ。女の子が逃げたのなら、その女の子がどんなかっこうをしてたのか、赤いスカートはいてて赤いバッグ持ってて赤い靴履いてて、髪の毛は茶色くて、それを追いながら話せ

おまえは頭がいいんだから、目で見て頭に持ってって口に持ってくるな。目からすぐに口に持ってけ

と、言って怒られたそうです。

(土居まさるさん、みのもんたさん、久米宏さん、古舘伊知郎さんなどが、この方法で成功したそうで、当時、テレビのラジオ化が始まった時代だっため、その後、彼らはみな、テレビで活躍するようになったそうです)

「ワゴンでデート」のメイン司会者に和田アキ子と共に抜擢される

ただ、せんださんは、それを実践してみるも、どうもうまくいかなかったそうですが、それでも、せんださんならではの個性が認められたそうで、

1969年には、和田アキ子さんとのトークラジオ番組「ワゴンでデート」のメイン司会者に抜擢されたのだそうです。

(和田さんは、それより少し前の1968年10月、「ホリプロ」の研修生として、「星空の孤独」でデビューするも、鳴かず飛ばずだったのですが、2枚目のシングル「どしゃぶりの雨の中で」(1969年4月25日発売)が大ヒットとなり、そんな和田さんとせんださんを上野さんが組ませたのだそうです)

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「ワゴンでデート」には無名時代の井上陽水もゲスト出演していた

ちなみに、「ワゴンでデート」には、「かぐや姫」や井上陽水(当時は「アンドレカンドレ」)さんなど、後にフォークの大御所となるミュージシャンたちがゲストとして出演していたそうで、

井上陽水さんとは、中央線で一緒に帰ったこともあったそうですが、電車の中で吊り革につかまりながら、

(当時、せんださんは、阿佐ヶ谷のアパートに住み、井上陽水さんは国分寺に住んでいたことから、帰る方向が同じだったそうです)

井上さん:せんださん、ビール瓶とかってあります?
せんださん:なんで?
井上さん:あれ集めて酒屋さんに持ってくと一本五円もらえるんですよ
せんださん:ホントかよ

などのやり取りをしたこともあったのだそうです。

また、(せんださんいわく)当時のフォークシンガーたちは、髪はボサボサで、服はダブダブ、アメリカの反戦運動の影響を受けてハートのペンダントをするなど、本当にむさ苦しい格好をしていたそうで、特に「かぐや姫」は絶対に売れないと思っていたそうですが、「かぐや姫」は1973年に発売した「神田川」が大ヒットするなど、せんださんが売れないと思った人は、後にみな売れたそうです(笑)

「せんだみつおは昔「ダメな男のロック」で歌手デビューもしていた!」に続く

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