本業のお笑いが半ば廃業状態となるも、その後、人気絶頂だった頃に出演していたテレビドラマの経験と人脈を頼り、俳優として、数多くのテレビドラマに出演し、食べていくことができたという、せんだみつおさんですが、俳優業では、辛いことと嬉しいことの両方があったといいます。
「せんだみつおは自宅が空き巣被害に遭うも芸能人最少被害額だった?」からの続き
テレビドラマ「熱帯夜」では松田優作と桃井かおりによく怒られていた
せんださんは、本業のお笑いが半ば廃業状態となるも、その後、俳優として、数多くのテレビドラマに出演するようになったそうで、この時期のことを「第2次黄金期」と呼んでいるそうですが、1983年に出演したテレビドラマ「熱帯夜」では、とても辛いことがあったそうです。
というのも、せんださんは、お笑いの時の習慣が取れず、ついコミカルな動きをしてしまっていたそうで、このことを、主演の松田優作さんと桃井かおりさんに、よく怒られていたというのです。
「熱帯夜」ではラスト部分の出演シーンが取り消されていた
2人から、喫茶店に呼び出されると、
松田さんからは、
芝居の世界にはねぇ、芝居の仁義があるんだよ
と、言われ、
桃井さんからは、
せんださんって子分肌が似合うわね
と、バカにされたそうですが、
(せんださんは、「普通、親分肌って言うけど、子分肌とは言わないだろ」と、心の中で思いながらも、よくよく考えると、「子分肌」という言い方は面白いと思い、その後、自分のプロフィールに、「日本一の子分肌、せんだみつお」と、使ったそうです(笑))
それが原因でか、ドラマのラストの部分では、台本が書き換えられ、本来ならば、せんださんが出るはずだったシーンがなくなったそうで、さすがに、せんださんも、これにはこたえたそうです。
萬屋錦之介にはとてもかわいがられていた
ただ、松田優作さんや桃井かおりさんとは逆に、萬屋錦之介さんからは大変かわいがられたそうで、その後も、萬屋さんの出演する時代劇などに数多く出演させてもらったほか、
(NHK大河ドラマ「花の乱」(1994)も萬屋さんの推薦で出演することができたのだそうです)
せんださんが、「トラック野郎」シリーズ(1978~1979)に出演が決まった際には、
萬屋さんから、
監督の鈴木則文さんにこれを持って行きなさい
と、一升瓶を渡され、
そこには、
萬屋です。せんだみつおをよろしくお願いします
という手紙が添えられてあったそうで、
せんださんは、そんな萬屋さんの心遣いに大変感激したそうです。
「トラック野郎」シリーズより。せんださんと菅原文太さん。
吉永小百合主演のNHKドラマ「夢千代日記」出演は「熱帯夜」のご褒美だった
また、翌年の1984年には、NHKの演出家の深町幸男さんが、「熱帯夜」では辛い目に遭いながらもよく頑張って耐えたと、吉永小百合さん主演のNHKドラマ「夢千代日記」に起用してくれたそうで、
(せんださんは、1977年に、深町さんに見初められ、深町さん演出のNHKドラマ「北上山系」に出演していました)
せんださんは、中国残留日本人孤児の役を演じているのですが、このドラマがヒットしたことで、せんださんも注目を集め、俳優として飛躍することができたのだそうです。
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