教育熱心だったお母さんの意向で、進学校だった旧制北野中学校に進学したという、森繁久彌(もりしげ ひさや)さんですが、中学時代は、かなりやんちゃな生徒だったそうで、天井裏から小便をして停学処分となったことがあったほか、答案用紙を白紙で出して、その場で留年を言い渡されていたといいます。

「森繁久彌の生い立ちは?幼少期に父親が他界していた!」からの続き

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中学時代は天井裏から小便をし5日間の停学処分になっていた

森繁さんは、中学の時、友達に、「天井の上に上がって誰かおしっこができるか」と尋ねたそうで、

友達:繁サンできるんかいな?
森繁さん:いゃオレだって・・・やれと言えばやるよ。だけどサ、そういう勇気が君たちあるのか?
友達:ない
森繁さん:ないねンやろ

というやり取りの後、結局、言い出しっぺの森繁さんが天井裏に上がり、おしっこをすることになったそうですが、

おしっこがなかなか出ず、下の教室で授業が始まり、先生が「子(し)のたまわく」と言った時に、天井からおしっこがポタァ~ポタと漏れ落ちたそうで、森繁さんは、5日間の停学処分となったことがあったそうです(笑)

(森繁さんは、この世で蜘蛛(クモ)が一番嫌いだったそうですが、天井は真っ暗で、そのうえ、蜘蛛の巣だらけだったことから、いざという時におしっこが出なかったのだそうです)

カカシを使ったいたずらでも2日間の停学処分になっていた

また、ある時には、竹刀2本を十文字に結んで柔道着を着せ、へのへのもへじを書いた屑籠(くずかご)を乗せてカカシを作ると、

教室の真下にあった校長室の窓に、そのカカシがタァーと降りてくるというイタズラをしたこともあったそうですが、その時には、2日間の停学処分となったそうです。

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歴史の試験では自分の名前だけを書き落第させられていた

そんな森繁さんは、数学は好きだったそうですが、特に地理や歴史が嫌いだったそうで、

(「何でくだらない、古い人の、わけの分からん坊主の名前を覚えたりするんだ」と思っていたそうです)

中学3年生の時、歴史の試験で、「応仁の乱」か何かの時の人物の名前を書け、という問題が出たそうですが、全く興味がなく、覚えていなかったため、「森繁久彌」と自分の名前を書き、

試験が始まったばかりだったにもかかわらず、立ち上がり、答案用紙を提出して教室を出ようとしたそうですが、

試験監督の先生から、

何だ、お前。おい、おいおい

と、呼び止められたそうで、

森繁さんが、

いえ、もう済んだんです

と、言うと、

先生は、

済んでないじゃないか、お前。書いてないだろ

と、言ったことから、

森繁さんは、

書いてなくても、私はもう済みました

と、言ったそうですが、

先生は、

お前みたいな奴は落第しろ!

と激怒し、いきなり、落第(留年)させられてしまったのだそうです。

(森繁さんの中学時代は、こんなことばかりだったそうです(笑))

「森繁久彌は早稲田大学演劇研究部の中心的存在だった!」に続く

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