満洲では、敗戦後、ソ連兵に捕らえられるも、シベリア送りにならず、なんとか生き延びることができたという、森繁久彌(もりしげ ひさや)さんは、その後、ようやく、日本へ引き揚げることができると、帰国後は、劇団を転々とした後、菊田一夫さんの舞台「鐘の鳴る丘」に出演することになり、憧れていた井上正夫さんと知り合ったそうですが・・・
「森繁久彌は全ての持ち物を渡しソ連兵から釈放されていた!」からの続き
ようやく満洲から日本への引き揚げが叶う
満洲では、やがて、ソ連軍の撤退が始まると、中国軍が入城し、共産党と国民党の対立が再燃したそうで、森繁さんの住む新京でも、数日間、激しい市街戦が繰り広げられたそうですが、
(共産党軍の将校から、負傷兵の収容のため、駆り出された家がたくさんあったそうですが、森繁さんは幸運にも免れたそうです)
1946年7月には、日本への引き揚げが始まったそうで、森繁さん一家は、難民収容所を転々としながら、秋も深まる頃、葫蘆(ころ)島から第2次の船に乗り込み、1946年10月21日、ようやく、無事、長崎県佐世保に上陸したそうです。
憧れの井上正夫と出会うも・・・
そんな森繁さんは、翌年の1947年には、NHKを退社すると、その後は、「帝都座ショウ」「空気座」などの劇団を転々とし、その間、「東宝」の衣笠貞之助監督作品「女優」に、端役ながら映画初出演すると、
1948年7月には、劇作家・菊田一夫さんの紹介で、有楽座で行われた「創作座」公演で、菊田さん作の「鐘の鳴る丘」に出演し、稽古場で、かねてより憧れていた、俳優の井上正夫さんと知り合ったそうです。
(井上さんは、どこか人の好い、お寿司屋のおじさんといったような、白いイガグリ頭をしていたそうです)
舞台「鐘の鳴る丘」では出番を勘違いし風呂に入っていた
ただ、森繁さんは、この「鐘の鳴る丘」では、井上さん演じる土地の大ボスに骨抜きになっている小学校の校長先生の役を演じていて、クライマックス近くに、「雪のアルプス」の場で井上さんとやり合うシーンまで、途中、一時間ほど出番がなかったことから、
かつて、ゆっくり入ることができなかった「東宝歌舞伎」の幹部用のお風呂につかりながら、当時のことにいろいろと思いを巡らせていたそうですが・・・
突然、
モリシゲさーん、とちってますよ、早く!早く!
という声がしたそうで、
森繁さんは、一瞬、血がサーッツと引き、風呂から飛び上がると、素っ裸のまま楽屋に飛び込み、そこにあったハゲづらを頭にかぶり、二重マントをまとって舞台へと駆け降りたのだそうです。
舞台「鐘の鳴る丘」では素っ裸になってしまい途中で上演中止となっていた
すると、舞台では、井上さんが立ち往生していたそうで、
森繁さんは、舞台に飛び出し、思わず、
先生!遅くなりました
と、言ったそうですが、
舞台奥の雪の柵で、これから土地のボス(井上さん)とケンカを始める子供たちが、ドッと爆笑してしまい、井上さんまでが後ろ向きになってプーッと吹き出し、何も言わずに退場したのだそうです。
こうして、舞台の中央に一人取り残された森繁さんは、被っていたハゲヅラの頭から自前の黒髪がニュッと出て、湯気が立っている顔は赤色から青色に変わり、裸足の足の上にポタポタとお湯がしたたり落ちている状態で、呆然自失となったそうで、思わず頭を抱えたそうですが・・・
まとっていた二重マントが開き、一糸まとわぬ、素っ裸がのぞいてしまったそうで、お客さんが嘲笑する中、森繁さんはどうすることもできないまま、幕が静かに降り、芝居は中止となってしまったのだそうです(笑)