撮影所で誰彼なしに殴りつけ、人々から恐れられた、若山富三郎(わかやま とみさぶろう)さんですが、女性関係もまた、型破りだったようです。今回は、そんな若山さんの最初の奥さんと二人目の奥さん、そして、不倫相手についてご紹介します。
「若山富三郎はヤクザからの借金も踏み倒していた!」からの続き
一般人と結婚&離婚~藤原礼子と再婚
若山さんは、若い頃(時期は不明)、ハワイ在住の日本人女性と結婚するも、若山さんの浮気が原因で離婚。その後、1963年には、若山さんと同じ「大映」所属の女優・藤原礼子さんと再婚されています。
藤原さんは、1950年に「宝塚歌劇団」に入団すると、「大和 七海路(やまと なみじ)」として、男役で活動し、
1954年には、宝塚映画「右門捕物帳・まぼろし変化」で映画デビューすると、1958年には、「宝塚」を退団し、「大映」に入社。
1961~1963年には、若山さんの弟・勝新太郎さんと田宮二郎さんがダブル主演の映画「悪名シリーズ」で、田宮さん演じるモートルの貞の妻・お照役として人気を博しました。
ちなみに、若山さんと藤原さんの結婚式は各界名士のほか、山口組三代目・田岡一雄氏も参列するなど盛大に行われたそうです。
結婚式での若山さんと藤原さん。
安田道代(現・大楠道代)との浮気が原因で藤原礼子と離婚
そんなお二人は、二人の子どもに恵まれるのですが、1965年、若山さんが、新人女優の安田道代(現・大楠道代)さんと深い仲になり、このことが原因で、同年、離婚。
さらに、若山さんは、常日頃からの撮影所での度重なる暴力沙汰や女性問題が原因で、「大映」から干されてしまい、1年後の1966年に、映画「処女が見た」で仕事復帰するも、この映画で安田さんと共演したことで周囲のひんしゅくを買い、同年、「大映」を退社されています。
「処女が見た」より。安田道代さん(左)と若尾文子さん(右)。
(それでも、若山さんは、7年にわたり、安田さんと同棲されていたそうです)
安田道代(現・大楠道代)との出会い
ところで、安田さんは、叔父さんが広告代理店に勤めていたことがきっかけで、モデルの仕事を始め、「河内ぞろ どけち虫」(1964年)の撮影で大阪に来ていた舛田利雄監督の目に留まり、スカウトされて、「河内ぞろ どけち虫」の端役で映画デビューすると、その後、「河内ぞろ どけち虫」の続編にも端役で出演。
また、舛田監督に誘われて上京し、吉永小百合さん主演の「日活」映画「風と樹と空と」にも出演されるのですが、
安田さんは、女優になるつもりはなく、憧れの石原裕次郎さんを間近で見たことで満足し、「日活」からの契約オファーがあるも、断って大阪に帰られます。
ただ、その翌年、短大生になった安田さんに、若山さんがオファーしたそうで(この時、初対面)、この時も安田さんはオファーを断られるのですが、
続け様に、勝新太郎さんからもオファーが来て、直接断ろうと撮影所に行ったところ、勝さんから、「ちょっとおいで」と衣装合わせに連れて行かれ、豪商の娘役の衣装を着せられると、それがあまりに綺麗だったため、「つい、やります!」と言ってしまい、映画界入りとなったのだそうです(笑)
当時の安田道代さん
大楠道代は新井浩文のパトロン
ちなみに、大楠さんは、2019年、「強制性交」の容疑で逮捕された、元・俳優の新井浩文さんを、かつて、付き人にしていたことがあったそうで、新井さんが芸能界引退後は、「大楠さんが衣食住の面倒を見ている」と報道され、注目を集めました。
(報道では、大楠さんの名前は伏せられており、「数々の映画祭で受賞歴を持つ大物女優」とされています)