1950年代~1960年代前半、「大映」の看板女優として活躍すると、1963年にはフリーになり、その後は、主に舞台を中心に活動を続けていた、山本富士子(やまもと ふじこ)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょう。今回は、そんな山本さんのプライベートをご紹介します。

「山本富士子のデビューからの出演映画ドラマ舞台を画像で!」からの続き

Sponsored Link

夫・山本丈晴との馴れ初めは?

山本さんは、1962年、ギタリストで作曲家の山本(旧姓・古賀)丈晴さんと結婚しているのですが、丈晴さんと知り合ったのは、歌手としても活動することになった1955年、作曲家の古賀政男さんの自宅を初めて訪れた時のことだったそうで、

丈晴さんと出会った瞬間、「暖かい風が吹いた」と感じたそうで、山本さんは、その時のことを、

初めて出逢った時から二人は鮮烈な印象と運命的な出逢いを感じました。

と、語っています。

夫・山本丈晴は作曲家の古賀政男の弟子で養子だった

ところで、丈晴さんの本名は、「古屋武治」というそうですが、当初、「古屋雅章」名義で音楽活動をしていたそうで、その後、古賀政男さんの養子となると、その際、本名の「武治」を「丈晴」にして「古賀丈晴」に改名。

山本さんと出会った時は、すでに古賀さんの養子となっていたそうですが、その後、丈晴さんは、山本さんとの結婚で、山本家の婿養子となり、以降、「山本」姓を名乗っています。

ちなみに、丈晴さんは、歌手の美空ひばりさんや村田英雄さんなどに楽曲を提供しているのですが、流行歌、歌謡曲、演歌ほか、映画・テレビ・舞台音楽、社歌・校歌とジャンルを問わず、数多くの楽曲を作曲しており、2006年には、「第48回日本レコード大賞功労賞」を受賞しています。

Sponsored Link

両親と古賀政男の間で話し合いがつかず結婚話が進まなかった

さておき、山本さんは、その後、歌のレッスンを重ねるうち、丈晴さんと心を通わせるようになっていき、結婚を決意したそうですが、丈晴さんに自身の後を継がせたかった古賀さんと、

(「富士ちゃんが古賀家にお嫁に来てほしい」と言われたそうです)

息子がおらず、娘である山本さんに山本家を継がせたいと思っていた山本さんの両親との間で、話し合いがつかず、なかなか、結婚の話は進まなかったそうです。

(お姉さんは、すでにお嫁に行っていたため、山本家を継ぐ者は山本さんしかいなかったそうです)

「山本富士子と結婚するため山本丈晴は結核の大手術に臨んでいた!」に続く


山本丈晴さんと山本さん。

Sponsored Link