敗戦後、首相の東条英機らがA級戦犯として逮捕される中、天皇は逮捕されないことに、天皇制や裕仁天皇(昭和天皇)の存在に疑問を持つようになったという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんですが、それ以外にも、教師の言うことが180度変わり、納得がいかずに質問攻めにして、答えに窮した教師に立たされたこともあったといいます。
「田原総一朗は敗戦後「天皇制」に疑問を持つようになっていた!」からの続き
間違ったことを教えてきたことについての謝罪が教師からなく腹を立てていた
1945年8月15日(小学5年生の夏休み)に玉音放送により終戦を聞かされた田原さんは、夏休みが終わると、学校に登校したそうですが、
教師たちからは、
この戦争は日本の侵略戦争で、悪い戦争だった。日本の指導者たちはみんな間違えた。君らは今後、戦争が起きそうになったら体を張って阻止しなさい
これから進駐軍がやってくるが、大人しくした方がいい。間違っても抵抗するな
などと、言われたそうで、
「これまで間違ったことを教えて申し訳ない」など、一言の謝罪もなかったことから、腹が立ったそうです。
修身と歴史の教科書を墨で塗りつぶさせられていた
そして、これまで習ったことは間違いだったという理由で、修身や歴史の教科書に墨を塗るように言われたそうで、
(※修身とは、旧学制下の小学校・国民学校などで、道徳教育を行なうために設けられていた教科の名)
まだ子供たった田原さんには、墨を塗る作業は、半分楽しかったそうですが、
もう半分は、一学期まで習ってきたことが180度ひっくり返ったことに、
そうか、世の中には絶対なんてないんだ。偉い人の言うことは信用できない
と、感じたのだそうです。
教師を質問攻めにして立たされていた
また、教師は、首相の東条英機らがA級戦犯として捕まったことについて、
彼らは悪いから捕まるのであって、裁判で裁かれるのは当然のことだ
と、説明したそうで、
この説明に納得がいかなかった田原さんが、
偉い人が言うことは正しいと教わってきたのに、敗戦になった後は、それが間違いだと言うのでしょう。偉い人や年上の人が言うことは間違いかもしれないのだったら、年上の人の言うことに反抗してもいいのか
と、尋ねると、
正しいと思ったら反抗してもいい
と、言われたそうで、
田原さんが、
じゃあ、親の言うことを聞かなくてもいいのか。親と喧嘩してもいいのか
と、問うと、
今度は、
ダメだ
と、言われたそうで、
そこで、さらに、田原さんがなぜだと突っ込むと、教師は答えに窮し、「立ってろ!」と言ったそうで、田原さんは立たされたそうですが、立たされながらも、黙ることができず、訴え続けたそうですが、納得いく答えは返ってこなかったそうです。
(今、考えると、嫌なことを言う子供だったと思うそうです)
「田原総一朗は中学時代から教師相手に論争を楽しんでいた!」に続く