妻・末子さんが他界してから5年後、ずっと不倫関係だった村上節子さんと再婚すると、もともと弱かった胃腸がさらに悪化したという、田原総一朗(たはら そういちろう)さんは、結婚後は、公私ともに節子さんに献身的にサポートしてもらっていたといいます。

「田原総一朗は村上節子と不倫の末に再婚していた!」からの続き

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2人目の妻・節子に生活全般を頼り切りだった

妻・末子さんが他界してから5年後に村上節子さんと結婚した田原さんは、しばらくしてから、節子さんの家に転がり込んだそうですが、もともと悪かった胃腸の調子がさらに悪化したそうで、節子さんは、そんな田原さんを、まるで看護師のように甲斐甲斐(かいがい)しく面倒を看てくれたそうです。

また、田原さんは、生活の細かいことも、節子さんに頼り切りだったそうで、例えば、下着や靴下がどこにしまってあるかも分からなかったうえ、電球が切れても取り替えることができず、すべて、節子さんに代わりにやってもらっていて、節子さんがいないと何もできない状態だったそうです。

(いまだに、VTRの操作もできないそうです)

2人目の妻・節子は仕事面でもサポートしてくれていた

さらに、仕事の面においても、元アナウンサーの節子さんは貴重なパートーナーだったそうで、

  • 節子さんは、田原さんが書いた原稿を、誤字脱字のチェックだけではなく、文章まで手を入れてくれていた(節子さんの言葉に対する厳しさは人並み外れたものがあった)
  • 田原さんは、「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」の放送が終わると必ず節子さんに電話をして、「どうだった?」と聞いていたそうですが、節子さんは、7割方は徹底的に批判するも、本音でダメ出ししてくれていた
  • 田原さんが講演に行く時は、必ず節子さんに一緒について来てもらっていたそうで、世間話ができない田原さんに代わり、節子さんが主催者の相手をしてくれていた

などのサポートをしてくれていたそうです。

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2人目の妻・節子には自律神経失調症で入院中つきっきりで看病してもらっていた

そして、田原さんは、ちょうど還暦になった1994年、ついに、胃腸が動かなくなり、入院したそうで、今度こそ、ガンを覚悟したそうですが、検査の結果は、意外なことに、自律神経失調症だったそうです。

ただ、薬を飲んでも一向に症状が改善されず、入院中は、精神的に参ってしまい、時々、「首を吊りたい」「ビルから飛び降りたい」といった自殺衝動に襲われたそうで、

田原さんが死ぬことばかり考えていたため、いつ飛び降りるか心配した節子さんは、昼間はもちろん、面会時間終了の夜9時になっても、なかなか帰ろうとしなかったそうです。

(結局、入院は50日間にも及んだそうです)

「田原総一朗は2人目の妻・節子も「乳ガン」で余命宣告を受けていた!」に続く

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