全盛期には3000曲、トータルでは5000曲もの、コマーシャルソング、番組テーマ曲、歌謡曲の作曲を手掛けてきたという、キダ・タローさんですが、関西では引張りだこだったにもかかわらず、東京には進出しなかったといいます。今回はその理由をご紹介します。
「キダ・タローはTVCMソング等を3000曲以上手掛けていた!」からの続き
標準語が嫌いで東京に進出しなかった?
関西では、コマーシャルソングの作曲家として引っ張りだこだったキダさんですが、一度も東京に出ていこうと思ったことはなかったそうです。
というのも、キダさんは、
虫がスカンですね、東京大嫌いやねん。言葉の問題でね。なんちゅう、生意気なモノの言い様をするんやって
と、語っています。
九官鳥が「おはよう」と標準語で返事をしてきて堪えていた
そんなキダさんは、昔、CMの録音でしばしば東京に行っていたそうで、銀座にあるABC(朝日放送)のスタジオに行く時には、動物好きだったため、「西銀座デパート」に必ず寄って、デパート内のペットショップをのぞいていたそうですが、
初めて、ペットショップに行った時、九官鳥がカゴの中で激しく騒いでいたそうで、キダさんが、「おはよう」と、大阪弁のアクセントで挨拶したそうですが、九官鳥は、一瞬、「んっ」と黙ったそうです。
そして、以降、キダさんがそのペットショップに行く度に、その九官鳥は「うわーっ」と騒いでいたそうですが、キダさんが「おはよう」と言うと、「んっ」と黙ったそうです。
それでも、キダさんは、毎回、「おはよう」と言い続けたそうですが、ある時、帰ろうとすると、九官鳥が、「おはよう」と標準語で返してきたそうで、キダさんは、かなり堪(こた)えたそうです(笑)
そもそも東京からはほとんど誘われなかった?
また、キダさんは、
板橋あたりをくりぃむしちゅーの上田(晋也)さんと歩いていたとき、品のいい奥さんが来て〝お仕事中、誠に申し訳ないですけれど、サインをお願いできますか〟って頼まれた。
大阪やったら〝はぃ、サインしてぇ〟やろ。そういう感じは好きです。好きですけど、全体的に東京はスカン、なんじゃいっていう気持ちがある
と、語っているのですが、
実は、そもそも、東京のコマーシャル制作業界から、ほとんど誘われなかったそうで、そのことに、腹が立っているのだそうです(笑)