将来は、澤瀉屋(おもだかや)を背負う存在として大きな期待が寄せられている、五代目市川團子(ごだいめ いちかわ だんこ)さん。今回は、そんな團子さんの家系図と両親をご紹介します。
家族は?親族は?屋号は?
團子さんの屋号は澤瀉屋(おもだかや)で、
父方のひいおじいさんは、三代目市川段四郎さん、
父方のひいおばあさんは、高杉早苗さん、
父方のおじいさんは、二代目市川猿翁さん、
父方のおばあさんは、浜木綿子さん、
従叔父(父親の従兄弟)は、四代目市川猿之助さん、
です。
憧れの人は四代目市川猿之助
團子さんの師匠は、従叔父の四代目市川猿之助さんなのですが、
四代目市川猿之助さん。
團子さんは、猿之助さんのことを、
猿之助さんは憧れの方。お稽古をしてくださる時の教え方が的確で、難しい感情も、僕がスッと受けとれる最善の形というのでしょうか。ポイントをみつけて、教えてくださるんです。
たとえば花道で仔獅子が、川に崖の上の父親が映っているのを見つけた時の目の動き。なぜ一度(頭を後ろに回し)抉るのかの理由から感情をつけて、動きを教えてくださいました。
と、語っています。
父親は俳優の香川照之
團子さんのお父さんは、俳優の香川照之さんです。
お父さんの香川照之さん。
香川さんは、三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんと女優の浜木綿子さんのもと、長男として誕生するも、
1968年1月、香川さんが3歳の時、両親が離婚し、母・浜さんに引き取られたため、三代目市川猿之助さんとは40年もの間、絶縁状態にあり、歌舞伎とは無縁の世界で育ったそうですが、
香川さんはかねてより歌舞伎役者に憧れており、2004年に長男の政明(團子)さんが生まれると、その思いが一層強まり、息子を歌舞伎役者にさせたい(「猿之助」を継がせたい)と思ったそうで、
そんな中、三代目猿之助さんの後妻の藤間紫さんの口添えもあり、香川さんが三代目猿之助さんの楽屋を訪ねるなど、徐々に雪解けが進んでいくと、2012年6月には、香川さんが「九代目市川中車」、息子の政明さんが「五代目市川團子」を襲名し、念願の歌舞伎役者になることに成功しています。
ちなみに、團子さんは、そんなお父さんのことを、
努力の人です。移動中の車でも家でも、ずっと歌舞伎の映像を見ているか台詞を覚えているか、お稽古をしています。父は大学受験の勉強を、中学3年の時から計画を立ててやっていたと聞いて、「ずっと努力をしてきた人なんだな」と思いました。
その結論として「大学は行かなくていい」と言っている人でもあって(笑)。進学を否定しているわけではなく、僕も大学には行こうと考えてはいますが、「何でも、学ぼうと思えば学べる」という意味だと思います。
と、語っています。
母親はJAL(日本航空)の元キャビンアテンダントだった
團子さんのお母さんは、JAL(日本航空)の元キャビンアテンダントだった知子さんなのですが、2016年には、夫の香川さんと離婚しています。
お父さんの香川照之さんとお母さんの知子さん。
というのも、知子さんは、香川さんと結婚して以来、家事と育児に専念し、普通の生活を送っていたのですが、突然、香川さんが梨園(歌舞伎界)入りしたため、生活が一転。
一から歌舞伎のしきたりを覚えなくてはならなくなったうえ、團子さんの踊りの稽古の送迎、パーキンソン病を患う義父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんとそのパートナーのA子さんとの同居生活、そのうえ、梨園(歌舞伎界)の妻たちから挨拶をしても無視されるなど、いじめのような状態が続いたそうで、ストレスがピークに達していたそうです。
さらには、そんな中、伝統芸能の重鎮の一人にブログで長男の團子さんのことを酷評され(自分だけならまだしも、息子まで悪口を言われたことで)、ついに心が折れてしまったのだそうです。
また、追い打ちをかけるように、娘さん(團子さんの妹)が(歌舞伎役者になって以来、團子さん中心の生活になったことから)両親にかまってもらえない寂しさで精神不安定となったそうで、知子さんが娘さんにつきっきりでいないといけない状態になり、
香川家は、香川さんと團子さん、知子さんと娘さんの真っ二つに別れた生活となっていたそうで、完全に家庭内別居状態となっていたのだそうです。
その後、冷却期間を持つため、香川さんが家を出ていく形で別居状態となったそうですが、夫婦の溝は埋まらず、2年の別居生活を経て、離婚となったのだそうです。
(ただ、團子さんが歌舞伎役者でいる限り、お母さんのサポートは必要不可欠なため、お母さんとの関係は、以前とさほど変化はないそうです)
家系図
ちなみに、家系図は、以下の通りです。
「市川團子(5代目)は8歳で歌舞伎初舞台を踏んでいた!」に続く