高校1年生の秋、文化祭で行われた野球部の練習試合では、レフトフライをバンザイする、素人のようなミスをして、恥ずかしい思いをしたという、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんは、技術不足から、しばしば、見物人から罵られることがあったそうですが、潜在能力は計り知れないものを持っていたといいます。
「長嶋一茂は右肘剥離骨折後は投手から野手に転向していた!」からの続き
あまりにも技術が未熟でしばしば見物人から罵られていた
高校1年生の秋、文化祭で行われた野球部の練習試合では、レフトフライをバンザイする、素人のようなミスをして、恥ずかしい思いをしたという一茂さんは、
この頃は、あまりにも技術が未熟だったことから、
しばしば、見物人からも、
長嶋の息子のくせに、下手だな
と、正面から罵声を浴びせられたそうですが、
(猛烈に腹が立ったものの、その言葉は事実だったうえ、お父さんと比較されることは百も承知で野球を始めたため、言い返すことはしなかったそうです)
当時、中学生で、この練習試合とその後のトスバッティングを見学しに来ていたという、矢作公一さん(後に日本ハムファイターズに入団し、現在はスポーツライター)も、
その練習風景を見ても、ああ、この人は野球をやってなかったんだなというのがよく分かりました。一茂さんのトスバッティングはトスバッティングになっていなかった。
自分は小学6年生の時にそのくらい完璧にできていましたからね。普通に言えば、ただのすごく下手な人だった。
と、語っています。
潜在能力は非常に高かった
ただ、その一方で、矢作さんは、
だけど、同時に、彼はとてつもない潜在能力を秘めていました。塁間じゃなくて直線を走らせるとか、何かをめがけるのではなくただ遠くにボールを投げるとか、あるいは素振りじゃなくてただ棒を振らせたりとかすると、ものすごい。
何ていうか、人間離れしているといってもいいくらいの原始的なパワーとスピードがあった。野球の技術はまだゼロだけど、もし俺が高校野球の指導者だったら、こんな選手を育てたいと思わせるタイプの人だった
高校時代、一茂さんはピッチャーもやらされてました。故障した肘を騙し騙し投げていたにもかかわらず、地肩が素晴らしく強いから140キロは出ていた。将来どんな野球選手になるのか、空恐ろしくもあった
と、一茂さんの潜在能力を絶賛しています。
野球関係者からも超大型選手になることを有望視される
実際、一茂さんは、その後、成長するにつれ、様々な野球関係者により、
技術的には未熟だが、潜在的なパワーは何十年にひとりという超大型の大器。
と、評されるようになるのですが、
それもそのはず、一茂さんの身体は、ギリシャ彫刻のように大きく、奇跡のように均整がとれていたことから、将来、超大型選手になるであろうと有望視されるようになっていったのだそうです。
(一茂さんに会った人は、誰でもその日本人離れした美しい体格に感嘆したそうですが、日本人離れというより、ハリウッドを探したとしても一茂さんほどの身体をした人は、そう多くは見つけることはできないだろうと思わせるほどだったそうです)