バットを体の正面やや斜めに傾けて構え、バックスイングを一切せずにそのまま振り抜く独特の打法で、通算3085安打、504本塁打を放ったうえ、通算319盗塁も記録した、張本勲(はりもと いさお)さんですが、守備の評価は決して高くはありませんでした。ただ、それは幼少期に負った大やけどが原因だったといいます。
「張本勲がサンデーモーニングを降板した理由とは?」からの続き
打撃は「安打製造機」と称されるほど凄まじかった
張本さんは、現役生活23年2752試合で(東映(日拓⇒日本ハム)、巨人、ロッテ)、NPB史上唯一の3000本超の安打数を記録して(通算打率は3割1分9厘)、「安打製造機」と称されたのですが、
ホームラン数も500本を超えており、安打を量産しただけではなく、長打も多い、中軸を長く打った勝負強い打者でもありました。
(通算3085安打、打率3割1分9厘、504本塁打、1676打点、420二塁打、72三塁打、1274四球、敬遠228、出塁率3割9分9厘、長打率5割3分4厘)
守備が苦手だったのは幼い頃に負った大やけどの後遺症のせいだった
さらに、張本さんは、足も非常に速く、319盗塁と傑出した成績を残しているのですが、唯一、守備は得意ではなかったそうです。
実は、張本さんは、幼い頃に右手に大やけどを負っていて、その後遺症で右手を完全に開くことができなくなっていたほか、高校時代には左肩を故障して、投げることもままならなくなっており、レフトの守備では、フライを捕球した後、センターに送球を任せることもあったそうで、
張本さん自身は、
私は打撃で記録を残した選手だ。お世辞にも守備の名手とは言えなかった。4歳のころの大火傷が原因で右手が不自由となり、グラブをうまく扱えなかったこともあるが、それは言っても始まらない。
プロの世界では言い訳になるだけだ。守備の分は打撃でカバーしようと思ってきたし、実際にそうしてきたつもりだ。
と、語っています。
(巨人時代には、事情を知らないファンから、「守備でも安打製造機=稚拙な守備により相手の安打を量産させている)」という、きついヤジも飛んでいたそうです)
当初は守備も悪くなかった?
ちなみに、熱心なファンによると、東映フライヤーズ時代の張本さんは、決して守備は下手ではなかったそうですが、
晩年の、巨人、ロッテ時代になって、レフトフライで構えている地点と実際にボールが飛んだ場所が大きく違っていたり、飛んできたワンバウンドの打球をグラブの土手に当ててこぼすということがあったそうです。
(NPBの外野守備記録は、試合単位での記録しかないため、正確なことは不明)
打撃以外は手を抜いていた?
また、張本さんは、俊足にもかかわらず、走らないこともあったそうで、
(盗塁・エンドランのサイン無視はしょっちゅうだったそうです)、
張本さんが一塁に出塁している時、次打者が長打コースのあたりを放って二塁に到達しようとすると、二塁上には涼しい顔をした張本さんが立っていて、慌てて一塁に戻ってアウトになる、というケースが毎年必ずあったといいます。
(かと思えば、気まぐれに、三塁盗塁をケロッと成功させることもあったそうです)