1971年7月17日に行われたオールスター第1戦(阪急西宮球場)で9者連続奪三振という新記録を達成した、江夏豊(えなつ ゆたか)さんは、1973年8月30日には、延長戦の末、なんと自身の本塁打でノーヒット・ノーランを達成しています。
「江夏豊は球宴で田淵幸一にフライを「捕るな」とは言ってなかった!」からの続き
中日の松本幸行と投げ合い延長10回まで0対0だった
1973年8月30日、江夏さんは、甲子園の中日戦で先発すると、中日の松本幸行投手との投手戦となり、ノーヒットピッチングのまま、0対0で延長戦に入ったそうで、
(松本さんも、5回1死までノーヒットピッチングで、その後、初安打は打たれるも、二塁を踏ませぬ散発3安打の快投で、阪神打線を抑え込んでいたそうです)
江夏さんが引き続き10回表も中日打線を三者凡退に抑えると、松本さんも10回裏、阪神の攻撃を無安打で抑え、またまた、江夏さんも11回表、中日を三者凡退に抑えたそうです。
自身の本塁打で延長戦ノーヒットノーランを達成
すると、延長11回裏、9番の江夏さんが先頭打者だったそうですが、初球をフルスイングすると、打球は空高く舞い上がり、ライトスタンドに飛び込むサヨナラホームランとなったそうで、
史上唯一となる、延長戦でのノーヒットノーランを達成したのでした。
(その後、2006年4月15日には、日本ハムが3投手(八木智哉投手が10イニング、武田久投手とMICHEAL(マイケル中村)投手が1イニング)で12イニングのノーヒット・ノーランを達成していますが、1人での延長戦のノーヒット・ノーランは2022年時点で江夏さんただ一人です)
自らサヨナラホームランを放ちノーヒット・ノーランを達成した江夏さん。
ノーヒットノーランの記録よりも阪神の優勝を意識していた
ただ、江夏さんは、このノーヒットノーラン達成は、それほど印象に残っていないといいます。
というのも、この時、宿敵・巨人は、長嶋茂雄さんら主力選手が高齢化して、4連覇、5連覇していた頃の圧倒的な強さではなくなっており、
江夏さんがノーヒットノーランを達成した時点での順位は、阪神も優勝争いに加わり、阪神が1位、中日が0.5ゲーム差で2位、巨人が中日とゲーム差なしの3位だったそうで、
江夏さんは、入団7年目にして、ようやく優勝がつかみとれる所まで来ており、チームが優勝することしか意識がなかったのだそうです。
そして、ペナントレース大詰めの10月20日、阪神はマジック1で中日戦を迎え、この試合か次の巨人戦のどちらかに勝てば優勝というところまで来るのですが・・・
「江夏豊は優勝目前で阪神球団から中日に負けるよう指示されていた!」に続く