1973年、阪神タイガースは、9月23日から10月10日の間、7連勝と4連勝を含む11勝1敗で、一気に首位の巨人を抜き去り、首位に立っているのですが、その躍進には、主軸を担っていた、田淵幸一(たぶち こういち)さんも大きく貢献していました。

「田淵幸一は江夏豊の球宴9連続三振の時の捕手だった!」からの続き

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首位・巨人と1ゲーム差で迎えた直接対決で35号ホームラン

1973年10月10日、シーズンも終盤に差し掛かり、残り試合が、阪神6、巨人5で、首位・巨人に1ゲーム差で迎えた、巨人との24回戦、

阪神は、1回裏、巨人に、高田繁選手の二塁打を足がかりに、長嶋茂雄選手、末次利光選手にタイムリーを打たれ、2点を先制されるのですが、

2回表には、先頭打者の田淵さんが、巨人の先発・高橋一三投手からレフトへ、自己最多となる35号ホームランを放ち、2対1とその差を縮めます。

首位・巨人と1ゲーム差で迎えた直接対決では連発となる36号逆転満塁ホームランも

すると、巨人には、3回裏には1点、5回裏には、またしても、長嶋選手、末次選手のタイムリーで2点を取られ、5対1とリードを広げられるのですが、

阪神は、6回表には、まず、後藤和昭選手のホームランで1点を返し(5対2)、その後、2死満塁の場面で、田淵さんが、倉田誠投手のカウント1ストライク2ボールからの4球目のフォークボールをすくい上げると、打球は高々と上がり、左翼席最前列へ着弾する、逆転満塁ホームラン(36号)となり、

その後は、6回裏からマウンドに上がった江夏豊投手が、この1点のリードを守りきり、6対5で阪神が逆転勝ち。

田淵さんは、

初めて入ってくれと祈った

一発逆転なんて頭になかった。先を考えていい結果が出たためしがない。倉田をどう攻めるか、投球の読みに全神経を使った。(前の打者の)遠井さんの配球をみて狙うのはフォークボールしかないと思った

本当に頭の中が真っ白になり、歓声も何も聞こえなかった。グラウンドの土を蹴っている感覚もない。初めての体験。三塁ベースを回るときに長嶋さんから『よく打ったなぁ』と声をかけられて、ハッと我に返った。生涯最高のホームランだった

と、語っています。

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巨人戦で同一カード7打数連続本塁打を記録

ちなみに、田淵さんは、この1973年には、37本塁打中16本塁打を巨人戦で打っているのですが、

  • 4月25日、6回、関本四十四投手から3号3ラン(後楽園)
  • 4月25日、8回、菅原勝矢投手から4号3ラン(後楽園)
  • 4月25日、9回、菅原勝矢投手から5号3ラン(後楽園)
  • 5月9日、2回、高橋善正投手から9号ソロ (甲子園)
  • (5月9日、4回、高橋善正投手から死球(甲子園))
  • 5月9日、7回、高橋善正投手から10号2ラン(甲子園)
  • 5月9日、9回、高橋善正投手から11号ソロ(甲子園)
  • 5月10日、1回、高橋一三投手から12号2ラン(甲子園)

と、2度の3打席連続ホームランを含む、同一カード7打数連続本塁打という記録も作っており、田淵さんがいかに巨人戦に強かったかが伺えます。

「田淵幸一は本塁打王の年に左手首負傷も右腕1本で2本塁打していた!」に続く


1973年10月10日、満塁ホームランを放つ田淵さん。(タップでyoutube)

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