1983年は、絶好調で、王貞治さんのシーズン55本塁打を上回るペースで本塁打を量産するも、7月13日に死球で左手首を骨折すると、整体師の荒治療により、さらに復帰が10月4日と大幅に遅れ、本塁打王を断念せざるを得なくなった、田淵幸一(たぶち こういち)さんですが、巨人との日本シリーズでは、巨人の両エースである、江川卓さんと西本聖さんからホームランを打つ活躍で、2年連続日本一に大きく貢献します。
「田淵幸一は王貞治の55本塁打を上回るペースも死球で左手首を骨折していた!」からの続き
約3ヶ月ぶりに復帰するも打棒が戻らないままシーズンが終了していた
1983年、王貞治さんのシーズン55本塁打の記録を上回るペースで本塁打を量産するも、7月13日に左手首に死球を受け、骨折すると、広岡達朗監督に勧められた整体師の荒療治でさらに悪化し、結局、83日後の10月4日の南海戦で、ようやく復帰した田淵さんですが、
やはり、すぐには打棒は戻らず、打球が上がらないまま、シーズンが終了したそうです。(西武はリーグ優勝)
巨人との日本シリーズでは江川卓と西本聖からホームランを放っていた
そこで、田淵さんは、なんとか、不安を打ち消そうと、巨人との日本シリーズ直前に、1日30分、6日連続の特打を行うと、
(当初は3日間の予定が、ようやく感じがつかめてきたのが3日目だったため、「あと1日」を3回繰り返し、6回となったのだそうです)
1983年10月29日、西武球場で迎えた巨人との日本シリーズ第1戦では、江川卓投手から、ノーストライク2ボールからのカーブを捕らえて、レフトスタンドへ3ランホームランを放ち、
(田淵さんは、江川投手のビデオを擦り切れるほど見て徹底的に研究していたそうです)
後楽園球場での第5戦では、(第2戦で完封された)西本聖投手のシュートを、バットを短く持って狙い撃ちし、レフトのポールを直撃するホームランとしたそうで、3ヶ月近く欠場していたとは思えないほどの活躍を見せたのでした。
(田淵さんは、このシリーズの優秀選手賞(正力松太郎賞)を受賞しています)
巨人の江川卓投手から日本シリーズ第1号となる3ランホームランを放つ田淵さん。
「打倒巨人」の夢を果たし、西武で2年連続日本一
そして、11月7日、西宮球場での第7戦では、巨人の西本聖投手に0対2と、中盤まで完璧に抑え込まれていたそうですが、7回には、スティーブ選手が中前打、田淵さんが四球、大田卓司選手が投手強襲安打で無死満塁とし、続くテリー選手が低めの変化球を左中間へ走者一掃の二塁打を放ち、3対2と逆転すると、
その後、7回からリリーフに上がった東尾投手がこの1点を守りきり、ついに、巨人を倒し、2年連続日本一となったそうで、
田淵さんは、ベンチから、マウンドに突進し、東尾さんに抱きついたのだそうです。
すると、東尾さんは、
おっさん、やるやろ(広岡監督を胴上げして落とす)?
と、叫んだそうですが、
田淵さんは、
こんな幸せな思いをさせてくれた監督を落とせるかい
と、大声で叫び返したそうで、
田淵さんは、後に、その時のことを、
あの時の東尾の顔が忘れられない。怒ってたなぁ。『おっさんの嘘つき!』と叫んで、広岡さんを胴上げしていた。いい男だよ
と、笑いながら語っています。
(田淵さんは、東尾さんから、親しみを込めて「おっさん」と呼ばれていたそうです)
「田淵幸一が引退を考え出したのは花粉症がきっかけだった!」に続く
抱き合う田淵さん(左)と東尾修さん(中央)。