ダイエーホークス監督就任1年目の1990年、ダントツの最下位となった、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、シーズン終了後、必死になってトレードを画策していたそうですが、そんな中、うっかり漏らした言葉によって大問題に発展したといいます。
「田淵幸一のダイエー監督1年目はダントツの最下位だった!」からの続き
広島の監督2年目の山本浩二を頼りトレードを申し込むも断られていた
1990年、シーズン終了後、田淵さんは、水面下で必死にトレードを画策していたそうで、広島の監督2年目の旧友・山本浩二さんにもトレードを申し込んでいたそうですが、
ある日の朝、産経新聞の担当記者の田所龍一さんが田淵さんのマンションに訪ねて来ていたところ、リビングにあるファックスが動き出したことから、田所さんが、
監督、何かファクスで来ましたよ
と、言ったそうで、
田淵さんが、
たぶん、(山本)浩二からだろう。トレードを断ってきたんじゃないかな
と、言うと、
その言葉通り、受信した紙には、
期待に応えられない。すまん
と、書かれていたそうです。
これに対し、田淵さんは、
ウチには相手が欲しがる選手がいない。だからトレードがなかなか成立しない。浩二のところはいいよなぁ、欲しい選手がいっぱいいるもんな
と、つい、本音を漏らしたそうですが・・・
何気なくつぶやいた一言を若い記者により広島の首脳陣に伝えられてしまう
1990年11月1日に行われる第2回セレクション会議(12球団が一堂に会して行うトレード会議)に先立って、同年10月27日、福岡市東区の雁ノ巣球場での秋季練習の後、産経新聞の担当記者・田所さんを含む、担当記者3人を交えて話していた際にも、
(話し合いというよりは、雑談という雰囲気だったそうです)
田淵さんは、いつも通り、何の気無しに、
ウチは金銭ならいいが、交換トレードとなると苦しいね。交換できる選手がいない。その点、(広島・山本)浩二(監督)とこはいいよな。長島や長内がリストに入っているらしい。2人とも他のチームならレギュラークラスだ
と、つぶやくと、
これを聞いていた若い記者が、この話を「田淵監督の発言」として広島の首脳陣に伝えてしまいます。
(同年3月に第1回セレクション会議が開催された際には、各球団から提出されたリストをもとに商談が行われるも、リストからは1軍の選手や3年目までの選手が外され、「移籍を希望している選手」のみがリストアップされていたことから、1件も成立しなかったそうで、11月1日の第2回会議では、「来季の戦力構想から外れた選手」を中心に行われることになっていたそうです)
広島の松田オーナー代行に激怒され謝罪会見を行っていた
すると、リストの中身は当然、機密事項だったため、広島の松田オーナー代行は、他球団のトレード要員を漏洩したとして、
もしこれが事実ならルール無視である。選手をおもちゃにする行為。失望に値する
と、激怒し、すぐさまコミッショナーへ報告したそうで、
田淵さんは、10月28日、謝罪記者会見を開き、
自分の軽率さを深く反省するばかりです。どんなペナルティーでも謹んでお受けします
と、深々と頭を下げることとなったのでした。
(田淵さんは、ダイエー球団から厳重注意、減俸10%の処分を科されたそうです)
球団社長からも代表からも犯罪者扱いされていた
ちなみに、その後、田淵さんは、
悲しかったなぁ。球団社長も代表も表向きは厳しい態度をとっても、内々ではオレをかばう立場じゃないのか。それが2人揃って犯罪者扱い。この球団はどうなってるんだ、と分からなくなったよ
と、語っていたそうですが、
一連の騒動を見ていた、産経新聞の田所記者も、後に、
辛かった。たしかに機密を漏らしたのは悪い。だが、それを「情報」ととるか「漏洩」にするかは記者の判断。なぜ、担当記者が自軍の監督を売るのか。
とはいえ、騒動になって結果的に各社横一線の「漏洩記事」を書いたのだから「恥を知る」のは同じである。
と、綴っています。
「田淵幸一はダイエー監督3年目のシーズン中に解任を通告されていた!」に続く