1014試合連続出場を続けている中、1954年7月25日の中日戦(大阪球場)、中日の河合保彦捕手が補給したボールの判定を巡り、ベンチから飛び出し、杉村球審の肩を数回小突いて猛抗議し、「風呂に行け」という婉曲的な表現で退場処分を受けたという、藤村富美男(ふじむら ふみお)さんですが、この時、藤村さんの身代わりになろうとし、さらには、この時のことを阪神球団に抗議した松木謙治郎監督は、阪神球団との関係が悪化し、1954年のシーズン終了後、辞任したといいます。

「藤村富美男が起こした「難波事件」とは?」からの続き

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杉村球審の「風呂に行け」という婉曲的な退場宣告をスルーするも・・・

1954年7月25日の中日戦(大阪球場)で、中日の河合保彦捕手が補給したボールの判定を巡り、杉村球審に猛抗議したうえ、肩を数回小突き、杉村球審から、「風呂に行け」と婉曲的な表現で退場処分を受けるも、次の打席にしれっと立ち、改めて、杉村球審から退場処分を受けたという藤村さんですが、

実は、藤村さんは、自身の判断だけで打席に立った訳ではなかったそうです。

独断で打席に立ったわけではなかった

というのも、藤村さんが、退場になってベンチ裏にいた松木監督に、「退場ではないので打ちに行く」と言うと、松木監督は、一瞬迷いながらも、承諾していたのだそうです。

一方、松木謙治郎監督が退場となった後、監督代行となった金田正泰さんによると、藤村さんも松木監督と一緒に退場になったと思っていたため、藤村さんの打席が回ってきた時、代打を告げようとベンチを出たそうですが、藤村さんがバットを持って打席に入ろうとしていたことから、そのまま藤村さんを打席に送ったのだそうです。

出場停止20日の厳しい処分が下されていた

すると、打席に立とうとした藤村さんが退場宣言を受けたことに、事情が分からない観客の怒りが爆発し、1000人以上の観客がグランドになだれ込んで、収拾がつかなくなり、ホームチームの阪神に責任があると裁定されて、没収試合となっているのですが、

後日、藤村さんは、出場停止20日と制裁金5万円、松木謙治郎監督は、出場停止5日と制裁金3万円の処分を、野球連盟に課されたのだそうです。

(この出場停止処分により、藤村さんの、当時、球界記録であった連続試合出場記録は、1014試合で途絶えたのでした)

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松木謙治郎監督は藤村富美男を思いやって阪神球団と揉め辞任していた?

これに、今度は、松木監督が阪神球団に詰め寄り、正式な処分が下りる前に、連盟と交渉して何とかできなかったのかと抗議したそうで、

(ケガをしても連続出場記録を伸ばしてきた藤村さんを思いやってのことだったそうです)

この件をきっかけに、松木監督は阪神球団との関係が悪化し、1954年のシーズン終了後、辞任したのだそうです。

「藤村富美男は松木謙治郎監督に推薦されるも監督になり損なっていた!」に続く

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