1歳半の時、突然、駆け落ち同然で家出した、父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんに再会するべく、1991年、25歳の時、公演中の父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんの楽屋を訪ねるも、会ってくれるどころか、「息子でも父親でもない」と冷たく言い放たれていたという、香川照之(かがわ てるゆき)さんですが、その後、諦めずに何度も楽屋を訪ねると、父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんのパートナーだった藤間紫さんの力添えもあり、40代でやっと再会を果たしたといいます。
「香川照之は若い頃に父・市川猿之助(3代目)に息子でないと言い放たれていた!」からの続き
藤間紫の尽力で父・三代目市川猿之助と再会を果たしていた
長男・政明さんが生まれたことで、長年、心の奥底にしまい込んでいた歌舞伎役者になる夢が疼きだし、政明さんに猿之助の名を襲名させたいと思うようになった香川さんは、
(お母さんの浜木綿子さんや奥さんは大反対したそうですが、香川さんの意志は固かったそうです)
父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんの歌舞伎座の楽屋を数回訪ねるも、会ってもらえない状況が続いたそうですが、
そんな香川さんの思いに心を打たれた、お父さんのパートナーである藤間紫さんが、
たった一人の息子じゃないの。ちゃんと会って話を聞いてあげなさい
と、強く背中を押してくれたそうで、
香川さんは、40代になり、ようやく、父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんと再会を果たしたそうです。
(藤間さんの中では、「息子に会わないのは、猿之助さんが自分(藤間さん)の存在を気にしているからだと思っていたそうですが、役者として成長する香川さんの姿を目の当たりにし、「早く猿之助さんに会わせたい」と言う気持ちが大きくなっていったのだそうです)
長男・政明を連れて父・三代目市川猿之助と交流を深めるようになっていた
その後、香川さんは、長男の政明さんも連れて、父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんの楽屋を訪ねるようになり、
(歌舞伎座の楽屋でも、新橋演舞場の楽屋でも、香川さんと政明さんの姿が頻繁に見られるようになったそうです)
芝居が終わった後は、香川さん、政明さん、父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さん、藤間紫さんの4人と弟子たちで食事会を楽しむこともあったそうです。
九代目市川中車を襲名し、長男・政明と共に歌舞伎界入りを果たす
こうして、30年以上離れていた父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんとの溝が徐々に埋まっていくと、2011年9月には、ついに、念願叶い、香川さんは、九代目市川中車、香川さんの長男・政明さんは、五代目市川團子として、それぞれ、歌舞伎界入り。
(同時に、三代目市川猿之助さんは二代目市川猿翁を、香川さんの従兄弟の二代目市川亀治郎さんは四代目市川猿之助を襲名)
すると、二代目市川猿翁さんは、会見後のフォトセッションで、(パーキンソン症候群により)不自由な口から、
浜(木綿子)さん、ありがとう。恩讐の彼方に、ありがとう、ありがとう。
と、絞り出すように、(ここまで息子を育ててくれた)前妻に感謝の言葉を口にし、
香川さんも、
一族で(写真を)撮るのは、物心がついてから初めてです
と、一瞬、笑顔を浮かべるも、こらえきれずに嗚咽(おえつ)しています。
また、香川さんはお母さんの浜木綿子さんについて、
いろいろと問題があります。いろいろな思いがあるでしょうし、一番心を痛めているかもしれません
と、思いやり、
僕のやろうとしていることを許してくれたことを感謝してます。それがなければ、なかった話です
僕自身は何も辛いことはなかった。今までは全部、幸せな人生
と、笑顔で語ると、
(初めて歌舞伎の舞台に立つことに)素人が入っていいものか、怖くてたまりません。でも、猿之助の名前は140年続く。僕自身、考えてきたことで、この船に乗らないわけにはいかない。これが僕の人生。
この春から(父と)同居しています。24時間、一緒にいて、病気、体調をみてきて、大勢のお弟子さんたちの運命も父が握っている。誰がサポートするのか。僕が立ち上がらなければいけない
と、力強く語っています。
(二代目市川猿翁さんは、この時、まだ舞台に復帰することができていませんでした)
「香川照之は歌舞伎界入りに際し従兄弟・亀治郎の力を借りていた!」に続く
(左から)九代目市川中車(香川)さん、五代目市川團子(香川さんの長男の政明)さん、
二代目市川猿翁(香川さんの父)さん、、四代目市川猿之助さん、市川段四郎(猿之助さんの父)さん。