2004年、星野仙一監督の後を引き継ぎ、阪神タイガースの監督に就任すると、豊富な知識とデータに基づく緻密な采配で、在任5年間でリーグ優勝1回、Aクラス4回の成績を残した、岡田彰布(おかだ あきのぶ)さんですが、2008年には、2位の巨人に最大13ゲーム差をつける首位独走状態から巨人に逆転優勝され、責任を取る形で監督を辞任しています。

「岡田彰布は2007年に初の退場処分となるも誤審だった?」からの続き

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監督就任5年目の2008年は開幕から好調でオールスター前には早くもマジック「46」が点灯していた

岡田阪神は、2008年には、FAで広島から獲得した新井貴浩選手らの活躍で開幕5連勝とスタートダッシュに成功すると、5月3日には、2リーグ制以降では球団最速の29試合目で20勝に到達。

さらに、6月には6連勝して59試合目で40勝に到達すると、7月には7連勝するなど7月9日には2位に13ゲーム差をつけて、ぶっちぎりの独走状態となり、オールスター前の7月22日には早くもマジック「46」が点灯します。

北京オリンピックで、藤川球児、新井貴浩、矢野輝弘の主力選手3名が離脱後、歯車が狂い始める

しかし、8月は、藤川球児投手、新井貴浩選手、矢野輝弘(現・矢野燿大)選手など主力選手3名が、北京オリンピックのためチームを離脱すると、打撃陣の不振や故障者も続出するなど歯車が狂い始め、月間成績も9勝11敗と初めて負け越してしまいます。


藤川球児投手。

新井貴浩選手は腰痛にもかかわらず北京オリンピックに全試合出場し、大会終了後に骨折が判明

さらには、新井選手が、腰痛で7月の試合をたびたび休んでいたにもかかわらず、北京オリンピックでは全試合に出場すると、北京オリンピック終了後には骨折が判明しており、

(岡田さんは、新井選手を心配して、球団トレーナーを北京に帯同させていました)

岡田さんは、後に、その時のことを、

北京で新井が4番ファーストで全試合にフル出場していたから、“帰ってきて出られなくなったらファンに笑われるで。それだけは気をつけてくれよ”とトレーナーには指示していた。

それなのに、帰ってきたら腰椎の疲労骨折で戦線離脱や。コーチ会議で思わず“トレーナーはクビや!”と叫んでしまったよ

と、語っています。


新井貴浩選手。

最大13ゲーム差あった巨人に9月には同率首位に追いつかれる

そんな中、9月10日時点では、2位の巨人とはまだ6ゲーム差があったのですが、翌9月11日から1分けを挟んで12連敗を喫し(9月19日からの巨人との直接対決3連敗を含む)、ついに、9月21日には巨人に同率首位に並ばれてしまいます。

それでも、なんとか、2位には陥落せずに、首位をキープしていたのですが・・・

最大13ゲーム差をつけていた巨人に逆転され優勝を逃していた

10月8日には、巨人に1対3で敗れ、ついに2位に陥落すると、

(これで、巨人はマジック「2」。それでも、岡田さんは、「最後まで何があるかわからない」と一縷(いちる)の望みを託していたそうです)

10月10日には、巨人がヤクルトを3対1で下したのに対し、阪神は横浜に3対4と逆転負けし、巨人に逆転優勝されてしまったのでした。(阪神は2位)

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優勝を逃した責任を重く受け止め阪神タイガースの監督を辞任

そして、岡田さんは、2008年10月12日、「勝てなくて申し訳ない」と監督辞任を表明したのでした。

(岡田さんは、最大13ゲーム差をつけていた巨人に逆転負けした無力感と、優勝を逃した責任を重く受け止め、「進退伺」ではなく、辞任を決め、10月11日までに球団側に意向を伝えたそうで、球団も、岡田さんの固い意思に、慰留は困難と判断したそうです)

ちなみに、岡田さんは、巨人の追い上げが激しくなった9月、

優勝できんかったら辞める!

と、宣言していたといいます。

「岡田彰布はオリックス監督をシーズン途中に紙切れ1枚で解任されていた!」に続く

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