高校では、先輩や同級生に何かと目の敵(かたき)にされ、難癖(なんくせ)をつけられては殴られていたことから、入部3ヶ月で練習に行かなくなったという、落合博満(おちあい ひろみつ)さんは、大会1週間前になると、先輩に呼び戻され、仕方なく復部して大会に出場し、大会が終わればまた退部しを繰り返していたそうですが、学校に行けば、練習に出なければならなかったことから、次第に高校へ行くこと自体サボるようになり、毎日、学校に行くふりをして、映画館に通っていたといいます。

「落合博満は高校時代殴られるのが嫌で8回も野球部を退部していた!」からの続き

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高校時代は毎日授業をサボって1日中映画館で時間を潰していた

高校時代、野球部では、先輩や同級生に何かと目の敵(かたき)にされ、難癖(なんくせ)をつけられては殴られていたという落合さんは、登校すれば、野球部の練習に出なければならなかったことから、次第に高校へ行くこと自体サボるようになったそうですが、

秋田県立秋田工業高等学校には、将来は建築関係の仕事に就きたいとの思いもあり、親にもそう言っていたことから、高校の授業をサボっていることが親にバレると厄介になると考え、毎日、学校に行くふりをして、秋田市南通の映画館に通い、夕方になるまで時間を潰していたそうです。

(当時、落合さんは、秋田市内で会社員をしていた2番目のお姉さんのアパートに同居していたそうで、朝には、帽子を被って、カバンに弁当と教科書を入れ、自転車に乗って、そのアパートから登校するふりをしていたそうです)

ただ、2週間後、学校から家に連絡があり、学校をサボっていることが両親にバレてしまったそうで、両親は一升瓶2本を携え学校に謝りに行ったそうですが、そんなことが、高校1~2年生まで続いたのだそうです。

映画館の入場料300円は、姉の貯金箱から拝借したり、高校の授業料を充てていた

ちなみに、そんな落合さんが毎日過ごしていたという映画館は、入場料(300円)を一度支払えば、その日は好きなだけいられたそうですが、

(新作が上映されることはほとんどなかったそうですが、いわゆる、名画座のように、かつてヒットした人気作品を2、3本立てで上映していたそうで、毎日通い続けていた落合さんは、当時の上映作品を何度も繰り返し観たそうです)

まだ高校生だった落合さんにとって、入場料の300円を毎日のように工面するのは一苦労だったそうで、お姉さんが買い物の釣り銭をコツコツと貯めていた貯金箱から拝借するほか、担任の先生に毎月渡さなければならない高校の授業料1000円を充てたこともあったそうです。

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不登校中も素振りなど自主トレーニングはしていた

とはいえ、落合さんは、不登校の間、野球の練習をしなかったわけではなく、電柱をバットで叩いたり、山の中で素振りをするなど自主トレーニングをしていたのだそうです。

(ただ、当時の電柱は木でできていたため、バットで叩くと穴が開いて電気が消えてしまい、苦情が来たこともあったそうです)

「落合博満は東洋大学を中退しホームレスのような生活をしていた!」に続く

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