1973年、高校3年生の時の春の甲子園大会では、ベスト4で敗退するも、この大会で60奪三振という驚異的な投球をした、江川卓(えがわ すぐる)さんは、「怪物」と呼ばれ、グラウンドには、連日、江川さん目当ての報道陣やファンが押し寄せるほどの人気を誇っていたのですが、そのせいで、チームメイトとは不仲だったと言われています。今回は、そんな江川さんとチームメイトの関係について、チームメイトや江川さん本人のコメントなどを交えつつ、ご紹介します。
「江川卓は高3の春の甲子園でベスト4に終わるも絶賛されていた!」からの続き
「怪物フィーバー」により自分ばかりが目立つことを気にかけるようになっていった
江川さんは、1973年、高校3年生の時、「第45回選抜高校野球大会」(甲子園大会)で準決勝に敗れたものの、1大会で60奪三振(2023年現在も大会記録)という驚異的な投球をしたことから、グラウンドには、連日、報道陣やファンが押しかけるほか、招待試合の申し込みが殺到していたそうで、
江川さんは、自分ばかりが目立つのを気にかけ、取材を受けても、「もういいですか」が口癖になっていったそうで、
作新学院野球部の山本理監督は、2016年、その時のことについて、
とにかく異常だった。ああなると、チームは壊されちゃうね
こっちのペースで練習できない。いつも落ち着かないって言うかな。練習試合のための練習になっていった
本来は明るい性格の子。頭もいいから、自分を殺して相手と付き合う。クールという印象を演じるようになった
と、語っており、江川さんの「怪物フィーバー」がチームに暗い影を落としていったといいます。
(江川さんは、だんだん、笑顔を見せることがなくなっていったそうです)
江川卓はチームメイトから孤立していた
そんな江川さんとチームメイトの関係は、だんだん微妙なものになっていったそうで、チームは、一枚岩と呼ぶには程遠い状態だったといいます。
というのも、メディアは、誰がホームランを打とうが決勝タイムリーを打とうが、打った選手ではなく江川さんを取り囲んだことから、いつしか、チームメイトは江川さんと距離を置くようになり、江川さんもまた、チームメイトを気遣って孤立し、浮いた存在になっていったのだそうです。
一塁手・鈴木秀男は江川卓と仲が悪かったという噂を否定しているが・・・
ちなみに、一塁手だった鈴木秀男さんは、
俺が江川と仲が一番悪かったと言われるけど、言われるほど悪くなかったと思うけどな。あいつの家によく遊びに行ったしね
江川が敵だと大変だろうが、江川の後ろで守るのも大変なんだ。(いつもパーフェクトがかかる試合展開になるため)内野はもうガチガチだよ(それでいて、ほとんど三振だから、めったに打球は飛んでこない)
(誰かが先にエラーすると)正直ホッとしたもんだよ
と、江川さんと仲が悪かったという噂を否定しているのですが、
江川さんとバッテリーを組んだ小倉偉民(現姓・亀岡)さんは、
打っても評価されないから、みんなおかしくなっていった
みんなが苦しかった。江川も苦しかったんだ
本人は何も変わらない。だけど、周囲が変わってしまった
と、語っており、
やはり、江川さんがチームメイトに与えた影響は大きかったようです。
江川卓はチームメイトに気を遣い一人でいることが多くなっていった
また、小倉さんによると、江川さんが打撃練習を終え、投球練習場に移動すると、水が引いたようにグラウンドから人がいなくなるなど、江川さんが動けば、報道陣やファンも江川さんについて一緒に動くという状態だったそうで、
小倉さんは、
そんな状態だからね、我々と一緒にいたくても、あいつはいられなくなっていった。気を遣う男だから、みんなに迷惑がかかると思ったんだろうね
とも、語っており、
江川さんがチームメイトを気遣って一人でいることが多くなり、より不仲説が真実味を帯びたようです。
江川卓はチームメイトとの不仲説を否定していた
ただ、江川さん本人はというと、著書「たかが江川されど江川」で、
作新学院のチームはかなり変わっていた。江川のワンマン・チームだったなどと評する向きもあるが、それは少し違うと思う。
みんなが一匹狼のような性格をしていて、妙な個性派人間の集団だった。なにしろ試合のときはまとまるが、野球以外の学校生活ではほとんど付き合うことがなかったのだ。
僕ひとりがマスコミに騒がれて、チーム内で浮いている、とよく言われた。だが、それも違うと思う。僕だけでなく、みんながそれぞれマイペース。仲が悪いというのとちょっと違うけれど、なるほどバラバラのチームといわれても仕方がないところは確かにあった。
と、綴っています。
「江川卓は高3のとき県予選でも県外から観客が殺到していた!」に続く