高校3年生の時、夏の甲子園全国大会栃木県予選では、5試合で、3度のノーヒットノーランを含む、被安打2、無失点、70奪三振という、圧倒的な投球で作新学院を甲子園出場に導いた、江川卓(えがわ すぐる)さんですが、甲子園(第55回全国高等学校野球選手権大会)の初戦・柳川商業高等学校戦では、敵将・福田精一監督の「奇策」(江川さん対策)で苦戦を強いられ、なんとか、延長15回、サヨナラで勝利しています。
「江川卓は高3のとき県予選でも県外から観客が殺到していた!」からの続き
柳川商業高等学校戦では福田精一監督の奇策により先制点を挙げられていた
江川さんは、1973年8月9日、甲子園(第55回全国高等学校野球選手権大会)の初戦・柳川商業高等学校(福岡)戦でも、5回まで、15アウトのうち10アウトを三振で奪う圧倒的な投球ながら、6回表、先制点を挙げられてしまいます。
(予選以来の初失点で、練習試合を含むと146イニングぶりの失点)
実は、柳川商の福田精一監督は、江川さん対策として、4番の徳永利美選手以外の全員のバッターにバスターを命じており、この奇策により、先制点を挙げられたのでした。
(※バスターとは打者がバントの構えで打席に立ち、投手が投球動作に入ってからヒッティングに切り替える打法で、「プッシュ打法」とも呼ばれています)
柳川商業高等学校の福田精一監督の「超変則内野手5人」シフトにより、作新学院はサヨナラのチャンスを逃していた
それでも、味方(作新学院)は、7回裏に同点に追いつくと、1対1で迎えた9回裏には、一死満塁のサヨナラのチャンスを迎えるのですが、
作新学院の栃木県予選チーム打率が.204と、およそ県予選優勝校とは思えない貧打線であることを知っていたという柳川商の福田監督が、センターの松藤選手を三塁手の前で投手の右を守らせる超変則内野手5人(投手、捕手を除く)シフトを敷いたことから、
(甲子園史上初めて目にするこの内野守備陣形に、作新学院のナインはもちろんのこと、4万5千人の大観衆は大きくどよめいたそうです)
作新学院の山本監督はスクイズをあきらめ、2番打者・菊地選手がヒッティングに出ると、ゴロになった打球は投手右横にいたセンターの松藤選手のグラブに当たって三塁手前に転がり、三塁手が本塁封殺。次打者の3番・江川さんはレフトフライに倒れてスリーアウトとなり、1対1のまま延長戦に突入したのでした。
作新学院は延長15回でなんとか柳川商業高等学校にサヨナラ勝ち
さらに、作新学院は、延長12回裏にも、一死満塁でサヨナラのチャンスを迎えるのですが、柳川商には、またしても、「超変則内野手5人」シフトを敷かれて、投手ゴロ本塁封殺で抑えられ、
延長14回裏にも、一死三塁のチャンスを作るも、同じく「超変則内野手5人」シフトを敷かれて、内野ゴロをセンターの松藤選手にさばかれ、打者走者がアウトになり抑えられるのですが、
最終的には、延長15回裏、柳川商の外野陣の中継ミスにより、作新学院が2対1でサヨナラ勝利したのでした。
(江川さんは、この試合、大会史上2位の、15回23奪三振(1失点完投)を記録しています。(1位は板東英二さん(徳島商)の18回25奪三振))
柳川商業高等学校の福田精一監督のコメント
ちなみに、柳川商業高等学校の福田監督は、作新学院と対戦が決まった際には、報道陣に向かって、
江川、江川と騒ぎなさんな。キャッチャーが捕れるやないか。バットに当てられないわけがない
と、啖呵(たんか)を切っていたのですが、
それから38年後の2011年には、
江川君に対しては“試合前にホラを吹いて申し訳なかった。最高のピッチャーだった”と言いたいね
と、懐かしむように語っています。
また、江川さんと対戦した、柳川商業高等学校のサイドスローの2年生投手だった松尾勝則さんは、
試合の3、4日前、江川さんのスピードに慣れるため、先輩のつてを頼って松下電器の山口高志さん(後に阪急や阪神で投手コーチ)に投げてもらった。山口さんのボールも速かったけど、江川さんのボールのほうがより速かった記憶がある。ボールが点ではなく線として見えましたから・・・
と、後に日本球界を代表する快速球投手になった山口さんよりも江川さんの方が速かったと、語っています。
「江川卓は高3夏の甲子園で土砂降りで制球を乱し大ピンチとなっていた!」に続く