1984年には、オールスターゲーム第3戦で、8者連続奪三振を記録している、江川卓(えがわ すぐる)さんですが、実は、前年(1983年)には、法政大学時代に疲労骨折していた右肩が夏に悪化し、日本シリーズ直前には、右足ふくらはぎの肉離れを起こしていたといいます。

1983年の球宴でMVPを獲得し笑顔で手を振る江川卓

「江川卓は4年目の1982年も前年20勝に続き19勝の活躍だった!」からの続き

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1983年は16勝でリーグ優勝に貢献するも日本シリーズでは右足ふくらはぎ肉離れで不本意な投球だった

江川さんは、入団5年目の1983年も、16勝9敗3セーブ、防御率3.27、10完投、2完封と好成績を残し、チーム(巨人)の2年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献すると、西武との日本シリーズでも、第1戦(先発)、第4戦(先発)、第6戦(リリーフ)で登板しているのですが、

(この年、巨人は、開幕5連勝でロケットスタートを切ると、4月下旬には11連勝などもあり、首位を独走。7月には広島の猛追で首位を明け渡すも、8月に再び首位に立つと、9月11日以降はそのまま一気に勝ち進み、リーグ優勝しています)

日本シリーズ直前に右足ふくらはぎの肉離れを起こしてしまい、その影響から、第1戦では、初回から1点を先制されると、2回にも田淵幸一選手に3ラン本塁打を浴びるなど、2回6失点で降板すると、チームも3対6で敗戦。第4戦は、6回3失点(10安打)とまずまずも、後続の投手が打たれ、チームは4対7で敗戦。そして、第6戦では、延長10回にリリーフで登板するも、打ち込まれ、サヨナラ負け(3対4)し、チームも日本一を逃しています。

1983年は夏に再び右肩を悪化させていた

しかも、江川さんは、この年(1983年)の夏、右肩を痛めていたといいます。

実は、江川さんは、法政大学2年生の時に右肩を疲労骨折しており、その時以来、右肩が痛むも、様々な治療を試みながら、だましだまし投げ続けていたそうですが、この年の夏、右肩を悪化させていたのだそうです。

(江川さんはこの事実が知られることを恐れ、投球数を減らすように工夫し、チーム内でもトレーナー1人以外には知らせなかったのだそうです)

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1984年のオールスターゲーム第3戦で8者連続奪三振を記録

そんな江川さんですが、翌1984年(入団6年目)には、ナゴヤ球場で行われたオールスターゲーム第3戦で、4回表から2番手としてマウンドに上がると、福本豊選手(阪急)、簑田浩二選手(阪急)を連続で見逃し三振に取った後、続くブーマー選手(阪急)を空振り三振、

5回表には、栗橋茂選手(近鉄)、落合博満選手(ロッテ)、石毛宏典選手(西武)、6回表には、伊東勤選手(西武)、代打のクルーズ選手(日本ハム)をいずれも空振り三振に打ち取り、8者連続奪三振を達成しています。

(8者連続奪三振は歴代2位で、歴代最高記録は、1971年のオールスター第1戦(西宮)でセ・リーグの江夏豊投手(阪神)が達成した9連続奪三振)

「江川卓は球宴で10連続奪三振を狙っていた!」に続く


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