1977年、1984年と2度に渡り大麻取締法違反容疑で逮捕(1977年は不起訴)されたことで、テレビでの仕事が激減し、地方温泉場などの営業回りをしていたという、美川憲一(みかわ けんいち)さんですが、仲の良かったコロッケさんに自身のモノマネをするよう持ちかけると、コロッケさんが美川さんのモノマネをするようになり、美川さんにもモノマネ番組から出演オファーが来たそうで、これに出演すると、大ウケし、見事、再ブレイクを果たしています。
「美川憲一の「おだまり!」は低迷時代うるさい客に言った言葉だった!」からの続き
美川憲一は低迷時代、コロッケに自身のモノマネをするよう持ちかけていた
実は、美川さんは、1988年頃、ものまねタレントのコロッケさんと仲が良かったそうで、
当時、コロッケさんは、まだ、レパートリーも少なかったことから、
あんた、ブルース・リーの『アチチ、アチチ』ばっかりやっていないで、私のモノマネをやりなさいよ
と、自ら持ちかけていたといいます。
ただ、その時は、コロッケさんは、
え~美川さんのまねは難しいですよ
と、言っていたそうですが、
ある日、美川さんがテレビを見ていると、コロッケさんが自分のモノマネをやってくれていたのだそうです。
(実は、コロッケさんは、じっと美川さんの仕草を観察し、練習してくれていたのだそうです)
美川憲一は低迷時代、ものまね番組の出演オファーを一瞬断ろうとするも、チャンスと思い直し引き受けていた
そんな中、美川さんに、フジテレビから、ものまね番組出演のオファーが来たそうですが、当時は、歌手がお笑い番組に出演して、おちゃらける、というのはありえないことだったため、
美川さんは、一瞬は、
歌手なのになんでそんなところに出なきゃいけないのよ
と、思ったそうですが、
すぐに、「これはチャンスかもしれない」「時代も変わってきたし、ひょっとしたら化けるかも」と、勘が働いたそうで、このオファーを受けることにしたのだそうです。
(そのモノマネ番組には、裁判の時に減刑の嘆願書を書いてくれた淡谷のり子さんが審査員にいたそうで、身内のようにかわいがってくれた淡谷さんの顔を見られるだけでもうれしいと思ったことも、出演を決めた理由だったそうです)
美川憲一はコロッケが自身のモノマネをしている最中に登場して大ウケし再ブレイクを果たしていた
こうして、美川さんは、1989年、正月放送の「オールスター爆笑ものまね紅白歌合戦!!」に出演することになると、撮影当日は、美川さんには楽屋が用意されていなかったことから、家から衣装を着て行き、黒い幕で目隠しした車の中で出番がくるまで待機したそうで、
コロッケさんが美川さんになりきって「さそり座の女」を歌っている最中、コロッケさんの後ろからサプライズ登場すると、コロッケさんが本当に驚き、審査員や観客は大爆笑。
当時は、歌手がバラエティー番組に出ることはほとんどなかったことから、大反響を呼び、美川さんは再ブレイクを果たしたのでした。
(現在では、当たり前になっているモノマネ番組での「本人登場」は、美川さんが第1号でした)
ちなみに、美川さんは、この時、「モノマネしてくれてうれしいわ」とは言わず、
いい迷惑よ。こんな安物の衣装なんて着てないわよ
と、毒づいているのですが、
後に、メディアなどでは、度々、
どん底から自分を復活させてくれたコロッケには感謝している
と、語っています。
(美川さんは、再ブレイクを果たす少し前、なぜか「私の時代が来たかも」と胸騒ぎがし、仙台の有名な占い師のところに確かめに行っていたそうですが、その占い師には、「あなたの後ろに御光が差している」と言われていたといいます)
「美川憲一は「タンスにゴン」で「もっと端っこ歩きなさいよ」が大ウケしていた!」に続く
美川憲一さん(左)とコロッケさん(右)。