1963年、宝塚歌劇団の女優だった寿美花代さんと結婚すると、長年、芸能界きってのおしどり夫婦として知られた、高島忠夫(たかしま ただお)さん。
そんな高島忠夫さんと寿美花代さんの間には男の子が3人誕生しているのですが、なんと、長男は、家政婦に殺害されていたといいます。
今回は、長男を含む3人の子供(息子)たちをご紹介します。
「高島忠夫の妻・寿美花代との馴れ初めは?逆プロポーズされて結婚していた!」からの続き
高島忠夫の息子(長男)・道夫は家政婦に殺害されていた
高島忠夫さんは、妻・寿美花代さんとの間に男の子が3人誕生しているのですが、1964年に誕生した長男の道夫くんは、生後5ヶ月の時に、家政婦に浴槽に沈められて殺害されるという痛ましい事件に見舞われています。
高島忠夫さんは、浴槽に沈められた道夫くんを抱きかかえ、パジャマ姿のまま、あちこちの病院を回ったそうですが、どこも受け入れてくれず、ようやく、1軒受け入れてくれた時には、すでに、道夫くんは息絶えていたといいます。
高島忠夫さんとの結婚を契機に、宝塚歌劇団を寿退団。男の子を出産し、幸せいっぱいの日々を送られていた寿美花代(すみ はなよ)さんですが、同年、赤ちゃんが殺害されるという大きな不幸に見舞われます。 「~宝塚で男役トップスター …
高島忠夫の息子(次男)は俳優の高嶋政宏
高島忠夫さんの次男は、1965年10月29日に誕生した、俳優の高嶋政宏(たかしま まさひろ)さんです。
高島忠夫さんと次男の高嶋政宏さん。
高嶋政宏さんは、成城大学法学部在学中の1987年、映画「トットチャンネル」で俳優デビューすると、以降、映画、テレビドラマ、舞台にと幅広く活動し、近年は、バラエティ番組にも積極的に出演しているのですが、
幼い頃には、お父さんの高島忠夫さんから、
食え食え食え食え
と、とにかく食べるように、口酸っぱく言われて育てられたそうで、そのせいで、子供の頃はとても太っていたそうです。
(高島忠夫さんは、戦争で食糧難を経験していたため、終戦から長い時が過ぎ、食料難が感じられなくなっても、食べ物がある時は全部食べるという習慣が自分自身にもあったそうです)
また、高嶋政宏さんは、両親がロケなどで家を空ける時、必ず一緒に連れて行かれたそうで、
お父さんの高島忠夫さんは、
一緒にいないと、なにかあったら…
と言い、家族で一緒にいることを望んでいたといいます。
そして、高嶋政宏さんが、スキューバダイビングをしたいと言った時には、泣いて止められたそうで、高嶋政宏さんは、なぜなのか、その時は分からなかったそうですが、
後に、長男・道夫くんの事件が子育てにも影響していたことが分かり、両親の気持ちを理解することができたそうです。
(高嶋政宏さんは、高校生ぐらいの時に、初めて、道夫くんの事件のことをお父さんからきちんと説明されたそうで、それまでは全然知らなかったのだそうです)
高島忠夫の息子(三男)は俳優の高嶋政伸
高島忠夫さんの三男は、1966年10月27日に誕生した、俳優の高嶋政伸(たかしま まさのぶ)さんです。
高島忠夫さんと三男の高嶋政伸さん。
高嶋政伸さんは、もともとは映画監督を目指していたそうで、その映画作りの資金のためアルバイトなどをしていたそうですが、映画撮影にはお金がかかり、19歳の時には、280万円も借金をしてしまったそうです。
その借金を返済するため、高額なアルバイトを探していたそうですが、怪しいアルバイトが多かったことから、やめて、最終的には、お父さんに正直に話し、借金を肩代わりしてもらったそうです。
ただ、「俳優になる」ことが条件だったそうで、その次の日から、お父さんとお兄さんの付き人をしながら俳優を目指したのだそうです。
(借金280万円は2年半かかってお父さんに返したそうです)
そんな高嶋政伸さんは、かつては、さわやかな好青年の役が多かったのですが、NHK大河ドラマ「真田丸」で、真田家と激戦を繰り広げた北条氏政役を演じ、その怪演ぶりが大きな反響を呼んだのをきっかけに、近年は、主に悪役を演じています。
「高島忠夫の死因は老衰も「うつ病」「パーキンソン病」「不整脈」で長年闘病していた!」に続く
68歳の時にうつ病と診断されると、家族のサポートもあり一旦は回復するも、その後、再発し、さらには、パーキンソン病や不整脈も発症するなど、晩年は病気の連続だった、高島忠夫(たかしま ただお)さん。 そんな高島忠夫さんは、2 …