1988年、NHK朝の連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」でデビューすると、当初は、気の弱い善人役を多く演じるも、2011年に、テレビドラマ「DOCTORS~最強の名医~」で、地位や名誉のことしか考えていない医師役を演じて新境地を開拓すると、以降、悪役やクセの強い役を数多く演じるようになった、髙嶋政伸(たかしま まさのぶ)さん。

そんな髙嶋政伸さんは、超有名人の両親のもとに誕生し、幼少期は何不自由なく育つと、少年時代には、映画監督に憧れるようになり、19歳の時には、アルバイトをしながら、映画の撮影を始めたそうですが、映画の撮影にはお金がかかり、やがて、290万円もの借金をしてしまったといいます。

そして、その借金返済のために、高額なアルバイトを探すも、怪しい仕事ばかりだったため、最終的には、お父さんの高島忠夫さんに借金を申し込んだそうですが、俳優になることを条件にお金を貸してもらったといいます。

今回は、髙嶋政伸さんの、生い立ち(幼少期)から「父と兄の付き人」時代までをご紹介します。

高嶋政伸

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髙嶋政伸のプロフィール

高嶋政伸さんは、1966年10月27日生まれ、
東京都の出身、

身長180センチ、

血液型はB型、

学歴は、
成城学園中学校高等学校
⇒成城大学文芸学部芸術学科卒業

趣味は、映画鑑賞、スキューバダイビング、水泳、ジャズ・ドラム、

ちなみに、「髙嶋政伸」は本名で、

お父さんは、俳優の高島忠夫さん、
お母さんは、女優の寿美花代さん、
お兄さん(次兄)は、俳優の髙嶋政宏さん、
従姉妹には、高嶋ちさ子さん、

という芸能一家です。

髙嶋政伸の長兄は生後5ヶ月の時に家政婦に殺害されていた

髙嶋政伸さんの兄弟には、お兄さんで俳優の髙嶋政宏さんがおり、髙嶋政伸さんは「次男」と紹介されることが多いようですが、

実は、もう一人、お兄さん(長兄)がおり、髙嶋政伸さんは、髙嶋家の3人兄弟の末っ子(3男)として誕生しています。

ただ、髙嶋政伸さんの長兄は、髙嶋政伸さんが生まれる前の1964年、生後5ヶ月の時に、17歳だった家政婦に浴槽に沈められて殺害されるという痛ましい悲劇に見舞われています。

髙嶋政伸の幼い頃は何不自由なく育ち贅沢三昧の日々を送っていた

髙嶋政伸さんは、お父さんで俳優の高島忠夫さんとお母さんで女優の寿美花代さんのもとに誕生すると、

誕生日には、破格で巨大なプレゼントをもらったり、普通の小学生では考えられないような夏休みを送ったりと、幼い頃から何不自由なく育てられて、贅沢三昧の日々を送っていたそうです。

また、家族全員でテレビ出演したことも何度もあったそうです。

高嶋政伸は幼い頃に誘拐予告をされたことがあった

ただ、髙嶋政伸さんは、全国的に顔が知られていたため、危険な目に遭ったこともあったそうで、幼い頃、誘拐予告をされ、刑事が半年間、自宅に泊まり込んだこともあったそうです。

髙嶋政伸は19歳の時に映画撮影のため280万円借金をしていた

そんな髙嶋政伸さんは、少年時代から、映画監督を目指していたそうで、19歳の時には、その映画作りの資金のためジャズクラブのボーイのアルバイトなどをしていたそうですが、映画撮影にはお金がかかり、なんと、280万円も借金をしてしまったそうです。

高嶋政伸は19歳の時に「腕を折るバイト」をしようと思ったことがあった

ただ、

両親の力なんか借りなくて俺一人でやるよ

と、言っていたため、

なんとか自力で返そうと、高額なアルバイトを探したところ、「腕を折るバイト」というのがあったそうです。

それは、病院に行き、腕が折れる瞬間を医学の研究のために連続写真で撮影していくというもので、1本折って40万円と言われたそうですが、それでも両腕両足合わせても280万円にはならないため、やめたのだそうです。

(ただ、本当に、実際、やっている人もいたそうです)

高嶋政伸は19歳の時に「怪しいバイト」が舞い込むも断っていた

また、同じ頃、

借金してるぼっちゃんが、実入りのいいバイト探してるぞ

と、あちこちで噂が立ったことから、怪しいアルバイトの話が舞い込んできたそうですが、

その中の一つについて、髙嶋政伸さんは、

横浜ふ頭に荷物持って行ったら20万円やる。それができたら人間が入ってるぐらいの大きさの袋のやつをトランクに入れて、横浜ふ頭に持って行って、そこにいるやつに渡してくれって。それやったら100万って。人間だろ、それって

と、語っており、

さすがに、これはやばいと思い、断ったそうです。

高嶋政伸は19歳の時に父・高島忠夫に借金を申し込んでいた

そんな中、友人のお母さんから、

あなた高島忠夫さんと寿美花代さんに迷惑かける。もう土下座でもなんでもして、肩代わりしてもらいなさい

と、アドバイスされたそうで、

髙嶋政伸さんは、その日の夜に、お父さんの高島忠夫さんに土下座して280万円の領収書をスーッと出し、正直に借金を申し入れたそうです。

すると、お父さんは、

えらい額やなあ

肩代わりしてやるけど、その代わりに(お前には監督の才能はないから)役者になれ

と、条件をつけて貸してくれたそうで、

高嶋政伸さんは、

一応劇団やってて1回ぐらい見に来てたんで。映画監督としては全く才能ないけど、役者としてなんか引っかかるかもしれないってういうことで。その次の日から父と兄の付き人をしながらやっていったっていう感じだったんです

と、そこから俳優になったことを明かしています。

(借金280万円は2年半かかってお父さんに返したそうです)

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高嶋政伸は芸能事務所に入るにあたり右頬の大きなほくろを手術で除去していた

ただ、髙嶋政伸さんは、もともと、右頬に大きなほくろがあり、幼い頃から、それがコンプレックスだったそうで、

高校時代には、演出家の勉強をするために、劇団「東芸」に所属していたそうですが、仲間たちが自分を同情の目で見ていたのを感じたほか、道を歩いていても、

子供から、

あっ、デカボクロ

と、指を差されることもあったそうで、それだけに、俳優になる気はなかったそうです、

実際、お父さんとお兄さんの付き人をしながら芸能事務所をいくつか回ったものの、入れてもらうのに、やはり、ほくろがネックになっていたそうです。

そこで、髙嶋政伸さんは、俳優になるにあたり、思い切って、そのほくろを手術で除去したのだそうです。

「【画像】髙嶋政伸の若い頃から現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く

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